じゅじゅるさん。2

じゅじゅるのへたれ感想ブログ

話数単位で選ぶ、2016年TVアニメ10選

に、参加します。

「話数単位で選ぶ、2016年TVアニメ10選」参加サイト一覧

ルール

・2016年1月1日〜12月31日までに放送されたTVアニメ(再放送を除く)から選定。

・1作品につき上限1話。

・順位は付けない。


2015年。
http://d.hatena.ne.jp/jujuru/20151231#p1
2014年。
http://d.hatena.ne.jp/jujuru/20141228#p1
2013年。
http://d.hatena.ne.jp/jujuru/20131231#p1
2012年。
http://d.hatena.ne.jp/jujuru/20121231#p1
2011年。
http://d.hatena.ne.jp/jujuru/20120101#p1


それでは行きまっしょい。



ノルン+ノネット 4 微睡みの森
童話の世界のような夢に迷い込んだヒロイン3人。みんなかわいいな。
狼を追いかける赤ずきん、ガラスの靴を探すシンデレラ、魔女の心配をする白雪姫。
もともと童話チックな世界と相性の良いアニメなので、なんかちょっと微笑ましいな、くらいで受け入れることが出来る。すばらですね。
その言葉は本当で、その言葉は夢。
少女達の悩みは森のように静かに秘密めいている。見ちゃいけないものを見てる気分でした。



ベイブレードバースト 14 誓いの決勝戦(バトル)!
僕はバルトとシュウの関係が好きでねえ。
やんちゃで浮き沈みの激しいバルトとめっちゃクールでクレバーなシュウって水と油のように見えるんだけど、馬が合うんだよね。
お互い感情の現し方がバラバラなんだけど、ベイへの熱い想いを理解しあっている。
だからこそ起きた、恐らく初めての激しい衝突。
シュウの怪我をおもって試合を辞退してくれと請うバルトの気持ちがいちがいに間違っているとは言えない。でも、バルトが想うのとと同じ位、シュウはバルトとのバトルを楽しみにしてきた。そのすれ違いね。
ここで大泣きしはじめるバルトもずるいっちゃずるいけど、それをほっとけないシュウもね。友情だよ。
そして激しくぶつかった後の和解を経ての、憂いなしの大一番。見たいものが見れた爽快感ってものがありました。



プリパラ 第105話 ガァルル、目覚めるでちゅーっ!!
プリパラの生んだ「トモチケ」「パキる」という要素をドラマ部分に注力した好エピソード。
ニコンすぐ溶ける。
アイドルのモヤモヤから生まれたボーカルアイドル・ガァルルはパキれないのか。
ボーカルアイドルの命たるチケットをパキッた時に起こるであろう出来事におののくユニコンの反応は真っ当ではあります。
しかし、それでガァルルが望む「ふつうの子」への道を断ってもいいのか。
あのガァルルが慎重な面持ちで「本当にいいのか」と問い直すところから涙腺決壊です。
なんだよそんなこと聞くなよ、いいんだよガァルルがパキりたいのなら。
自分がこうありたいと強く願った時、もうすでにそうなっている。そういうことをプリパラは描き続けてますよね。



SHOW BY ROCK!! しょ〜と!! #11 聖MIDI女学園中等部 あざと学特別講義
ロージアちゃんのあざと学講座。
あー一生講義受けててえ。



クロムクロ 第二十五話 鬼の見た夢
敵を退けた後。かつての仲間に切り捨てられる剣之助。
世界は新たな脅威を求めるかのように胎動する。
厳しい監視の中でのデートは空々しさと物悲しさを多分に含んだもので、ピーエーワークスの培ってきた情景描写の光るシーン。
ピーエーワークスは、秋や冬にどことなく漂う手遅れ感とでも言いましょうか、そういったものを表現するのが上手なスタジオって印象です。



響け!ユーフォニアム2 第五回 きせきのハーモニー
葉月ちゃんが電車内でつり革につかまって上体を前に突き出すとこあるじゃないですか。
あそこ、葉月ちゃんぽくてなんか好きです、ああいうちょっとした描写がみょうにフェチくなるのいいよね。
この全国を賭けた演奏は何度聴いても泣けてきます。
葉月ちゃんが身を屈めて拝む先、カーテンの隙間から一筋光が差し込む。カメラはスッと上方へ。
それは全国への、細くまぶしい一本道のように見える。駆け上がるか転げ落ちるか、カーテンのこちら側の部員はただ固唾をのんで見守る。
勇ましいパートが終わり、一瞬の静寂に小さく息をつく音。麗奈のソロパート、細やかな指が精悍さを含んだ音色を紡ぐ。
久美子の、視聴者の脳裏にひらめくはあの夏の夜の花火の下の、壮絶に美しい記憶。
部員全員の祈りや願いそのもののような渾身の演奏でした。



装神少女まとい #05 特別な普通
お着替え回はジャスティスなんですよ。
かたくなな少女が言われるままお着替え人形扱いされ、あれよあれよと相手のペースに巻き込まれる。
お約束ですが、とてもいいです!クールジャパン!
タイトルセンスもいいですよね。まといの普通がクラルスには特別に響いたんです。



フリップフラッパーズ 第6話 ピュアプレイ
いろは先輩回。
先輩の笑顔で終わるので一見ハッピーエンドのようだけど、なんともいえない後味を残したまま終わる。
先輩の笑顔はまぶしい。しかし、何かしてはいけないことをしたような気がする。
言い知れない不安感を抱えたまま過ごす視聴後一週間は、なかなか味わえない居心地の悪さに包まれていました。
マニキュアのにおいを嗅ぐたびに思い出しそうなエピソードです。
それは、懐かしさと、憧れと、後悔のにおい。



ブブキ・ブランキ 星の巨人 第24話 冒険者
アズマくん、なんで日本に戻ってきたんだろうね。流れでそうなったからって感じで、アズマくん、ほんとぼんやりしてたんだな。
ギーの「道を歩く見ず知らずの臭い息を吐く老人の命が大事だなどと思えるか」という最期の言葉が脳裏を離れない。*1
勇者と魔王は表裏一体などと申しまして、それらは紙一重なのであります。
しかし、アズマとギーは似ていても別の人。アズマが欲しかったのは世界ではなく、旅そのものだと仲間に教えられて気付きます。
平和になったからといって、冒険の旅を終える必要なんてないんですね。翼があれば飛んでゆけば良い。
贅沢に尺を使った後日談を見て、ああ、このアニメは一希東の在り方を誠実に追ったシリーズだったんだなって思いました。
そういや、百合ップルって単語、アニメで聴いたの初めてかも知れない……。



TO BE HERO 第12話 英雄十二日目「パパ そばにいて!」
ミンちゃんの声優さん、月野もあさん。初めてお声を聞くお方で個性的だというのが第一印象だったけど、それだけじゃなかった。
最後のミンちゃんの訴え、「あの農場へ行こう」の「あ」の部分のブレ方がすっごく情感こもってて良かったです。
ミンちゃんになってくれてありがとう。
ふざけた設定に設定を重ねてとぼけてみせた末に見せられた、もうひとりのおっさんとの対決。
欲のかたまりのおっさんと、いつもミンちゃんのそばに居続けようとしたおっさん。
どっちがホンモノか、とかではなく、思いの強い方が生き残る、そういう話だったのかな。
いつかのリフレインで終わる構成も美しい。
日本語版監修・音響監督という役回りだったけど、かなりナベシンイズムの強い作品でした。



今年も色んなアニメに出会いました。
意外な出会いというのも今年もありまして、まだアニメには可能性が眠っているのだなあと実感しました。
「良い」アニメにも色々あって。
熱さや悲しさ切なさ、そして萌えやバカバカしさ、そういった多彩なものを受け取れるうちはまだまだがんばれそうだな、そう思うのです。
今年も一年ありがとうございました。
また来年もアニメで会いましょう。

*1:薫子だったらうっせーボケとにべもなく突っ返したでしょうね。あの娘は周囲の人に目を配ることの出来る娘として描かれてきたから。似てるところと似てないところのはっきりした兄妹だよね

映画「君の名は。」感想 もうひとつの「君の名は。」

ちょっと鑑賞から時間が経ちましたが「君の名は。」感想です。ネタバレありです。



新海誠監督がこれまで描いてきたこと。
それは、青春の全てを投じた恋愛がやがて後方に追いやられようと、「それでも人生は続いて行く」ということ。
彼・彼女が結ばれようが結ばれまいが「あの頃」は二度と訪れず、ラッシュアワーに揉まれ改札をくぐる日々に戻っていく。
そのはかない恋物語が時として永遠の別れで終わろうとも、彼・彼女の人生という物語は続いていくのだ。
そして、「君の名は。」もそうした物語であった。
瀧と三葉はお互いを忘れても、その痛みだけは抱えながら今という時を懸命に生き続けた。
それは何も二人の間にだけあったわけではない。そのことについて記そうと思う。


新海監督の新作映画「君の名は。」は、出会ったことのない「君」と出会うまでに少年少女が日々を駆け抜けるさまを描く。
その結末は大団円と呼ぶにふさわしい堂々としたものだ。
過去作に比べれば爽快な後味となっているが、新海誠監督らしさは色あせていなかった。
君の名は。」にはいくつかの出会いと別れが描かれていた。たとえば、三葉と奥寺先輩だ。


瀧は三葉との入れ替わりによって、憧れの奥寺先輩と急接近することになる。奥寺先輩がのちに「好きだったんだ、私」と述懐するように、彼女は瀧に恋をしていた。
その「瀧」とは、三葉と入れ替わった状態の瀧を指している。
やぶれたスカートにかわいい刺繍を施したり、一緒におしゃれなカフェを巡ったり、ついにはデートの約束にまでこぎ着けた「瀧と入れ替わった三葉」に恋をした。


しかし、奥寺先輩に「瀧」と「瀧ではない誰か(三葉)」を区別する術はない。なんとなく、ざっくりと「あの頃の瀧くん」としか言えないであろう。
鑑賞した我々が映像*1をつぶさに観察すれば「何月何日と何月何日、もしくは何月何日の瀧くん(つまり三葉)が好き」と指摘できるのかも知れない。
しかしそれはあまり意味のある行為ではないのかも知れない。「瀧と入れ替わった三葉」を呼び水として、普段の「本当の瀧くん」に目を向ける時間もあっただろう。
そこはもう時間と感情が溶け合っていて、もはや判別のしようがない。瀧から三葉は去った。「あの頃の瀧くん」には二度と会えない。
未来において、瀧の仲介を経て奥寺先輩と三葉が出会う可能性も、なくはないだろう。
瀧と三葉の、お互いについての記憶が消えたのち、瀧がテッシーの名前を聞いて一瞬反応したように、奥寺先輩の名を聞いて三葉がなんらかのひらめきを得ることはありえるのかも知れない。
しかし、奥寺先輩が「三葉」の名前を聞いても、何のひらめきも訪れない。なぜなら、彼女にとって「あの頃の瀧くん」も、瀧には違いないからだ。別人と接していたという認識がない。仮に会えたとして、それは恐らく奥寺先輩の望む「あの頃の瀧くん」とは別人だ。
奥寺先輩が三葉の名を問うことは未来永劫、過去永劫においてありえない。出会ったことのない名前だから、何も起きない。その恋心は永遠に閉ざされる。例えば、宇宙と地球に引き裂かれた恋のように。
奥寺先輩と三葉の出会いは「世界の秘密」として閉ざされた。しかし、奥寺先輩は次の恋を見つけ、新たな自分の物語を紡ぐ。永遠と呼べる別れを経てもだ。
その在り方は新海監督がこれまで描き続けてきた主人公たちの姿を彷彿とさせる。


もう二度と、いや一度も君の名を問わず、しかしそれでも自分の物語を紡ぎ続ける。そういう有り様に、新海監督はこだわり続けた。その想いのひとつの結実が「君の名は。」にあるのだろう。

*1:スマホの日記アプリの日付など

マイベストエピソード5選

物理的領域の因果的閉包性のぎけん(@c_x)さんの企画「マイベストエピソード」にふたたび参加します。
ルールはこちら。


・ 劇場版を除くすべてのアニメ作品の中から選出(配信系・OVA・18禁など)
・ 選ぶ話数は5〜10個(最低5個、上限10個)
・ 1作品につき1話だけ
・ 順位はつけない
・ 自身のブログで更新OK(あとでこのブログにコピペさせていただきます)
・ 画像の有無は問わない
・ 締め切りは8月末まで


「何度も繰り返し見ている、自分にとって大切なエピソード」をコンセプトに選んでみました。
学びやひらめきを得、今も勇気をもらい続けている大切なマイベストエピソード達です。



戦姫絶唱シンフォギア EPISODE 12 『シンフォギア

自分の間抜けなお話をしますと。
僕、当時、シンフォギアは全12話だと勘違いしてて。だから最終回の気分でこのエピソードに臨んだわけです。
満身創痍になりながら自分の役割を果たし倒れていく仲間達。
響はぼろぼろになって立ち上がる。
お前が纏っているものはなんだ。心は確かに折り砕いたはず。
いったい、なんなのだ。
勝っているはずのフィーネが戦慄する。矢継早に、饒舌に疑問が飛ぶ。
それに対する響の応えに、僕は身震いしました。
シンフォギアアアアアアアアアア!!!」
それはとてもシンプルで、とても腑に落ちる答えでした。
響が傷つき、這いずり回りながら習得したもの。その力、その心。それはシンフォギア
それ以外の言葉は必要ありません。
そしてエンドロールとともに高らかに鳴り響く「Synchrogazer」。
僕は思いました、これは完璧な最終回だと。
倒すべき相手はまだ健在です。しかし、僕は答えを得たのです。これでいいのだと納得できました。
だから、あと1話あると知ってびっくりしましたし本来の最終回も素晴らしいものでしたが、それでも僕の中でこのエピソードは特別なものとしてずっと胸に残り続けました。
言葉を創造し、力を与えるという行為について、僕はこの作品からひとつ学びました。
で、また改めて今日視聴したのですけど、クリスちゃんと翼さんが散って響が倒れ、場に絶望感が漂う中、足音が響いてくるんですね。
この足音で僕、落涙してしまって。そこで泣いたのは今までなかったことです。その足音の数々は響が戦う理由なんです。そして紡がれるみんなのメロディが、巡り巡って響を後押しする。
何度も視聴したのに、まだまだ作品の魅力を見つけられる、こんなに嬉しいことはないですね。
あのシンフォニーは今も、僕の胸で響き続けています。



君に届け 2ND SEASON episode.0 『片想い』

くるみ視点から描かれる、くるみの恋の一幕。アニメオリジナルエピソードで第二期は幕を開けます。
一期の総集編プラス新作という構成なんですが、主人公・爽子の恋のライバル・くるみが振り返るという変則構成になっていて、くるみから見た爽子・風早が描かれていて新鮮な気持ちで視聴できます。
僕は本当にくるみが好きで。
くるみに名前のコンプレックスがあるからなのはあるけど、はじめから爽子をちゃんと下の名前で「爽子ちゃん」って呼ぶの、彼女だけなんですね。
人から傷つけられた者同士だけど、それによってハリネズミになったくるみにとって、傷つけられても、諦めかけても人と正面から向き合うことをやめなかった爽子がまぶしい。
だからくるみが振り返る思い出もね、風早より爽子との交流の部分が多いんじゃないかというくらい。
くるみは爽子を恋のライバルだから嫌っているけど、爽子との会話やその時のくるみの心境を彼女視点で追って行くと、これはそういう関係じゃなかったら最初から友達になれていたんでは?って思えてくるんですね。
でも、どうかな。もしもはないんですよね。対立したからこそ、今の彼女の心境に至ったのだろうし。
雪振る夜の北海道をひとり彷徨うくるみには妙な落ち着きがあります。
気持ちよく振られて、納得感を得られたからかも知れない。
それでも、想いは消えたわけじゃない。もうすぐバレンタイン。
街の灯りがほのかにくるみの恋心をデコレートします。
街に降る雪がこんなに優しく映って見えるの、不思議ですよね。
光の当て方を変えることで物語がまた別の色付きをし始める。
アニメスタッフの原作へのリスペクトを強く感じるエピソードでした。



◆エクスメイデン 『居酒屋たまき 第一話 〜ほっけの塩焼き〜』

ネット配信アニメが苦手でした。
(期間内なら)いつでも見ていいスタイルが馴染みませんでして。それまで僕はテレビアニメの習慣で曜日とアニメって紐づけられていたんですね。
「週の初めを告げるアニメ」とか「土日らしいアニメ」とか。
そんなある日、エクスメイデンに出会いました。すでに3本ほど公開されておりました。
そのうちのひとつ、「居酒屋たまき ほっけの塩焼き」と名付けられたエピソードは、ネット配信スタイルの豊かさを僕に教えてくれました。
タイトル通り、居酒屋のような緩やかさ。
声優さん達の地が出たような、気の抜けたビールのようなやり取り。
芝居の組み立てがかなり声優さん任せ(のように聞こえる)で自然体に近い。
まさに居酒屋で隣りの客の会話に耳を立てているような感覚に陥ります。
いつでも来ていい。ネットにアクセスすれば、たまきさんと長官に会える。新しいアニメとの出会いのスタイルでした。
配信開始は2014年ですが、今も全話ニコニコ動画にて視聴できます。
僕は今もときおり、居酒屋たまきに立ち寄ります。
あのひとのあのひとことを聞くために。
「ひさしぶり。いつもの席、空いてるよ」



星方武侠アウトロースター #8 『腕ずくの発進』

アウトロースターをひとことで要約すると、「片田舎のチンピラがチャカ手に入れてやんちゃしすぎてホンモノに目を付けられる話」です。
宇宙勢力を揺るがす謎のグラップラーシップを手に入れたジーン一行の前に現れる数々の刺客。
達人VSロボット。管制の協力を得ず、力づくで発進するアウトロースター号。はじめてのグラップラー戦闘に挑む一行。
本郷みつる監督コンテによる、見所山盛りの贅沢仕様。どれかひとつの要素でも1エピソードが成り立つのに、それをぎゅうぎゅうに詰め込んでいます。
俺様なジーンが皆を引っ張り、ジムがサポートし、メルフィナがジーンを支え、鈴鹿は体を張って敵を足止めする。
アウトロースター号の基本戦法がここに確立。打ち合わせなしの突発的な発進に、誰の指示もなくそれぞれが自分の役割をこなす。
寄せ集めが戦いの中で一致団結して行くさまって、やっぱり好きだな。
あと、発進シークエンスっていつも僕をワクワクさせてくれる。「サブイーサドライブ」などのその世界特有の独自用語が混じるとさらに盛り上がる。中華圏の影響が強い世界観なので、モニター表記もかなり独特です。
男心をくすぐるさまざまなギミックが散りばめられ、宇宙船が近接格闘するオリジナリティの強い高速戦闘を彩っています。
気分を盛り上げたい時に、長い間繰り返し見てるエピソードです。「あんたも、魅せてくれよ!」ってジーンに発破をかけてもらうために。



シスター・プリンセス RePure キャラクターズ 12 『咲耶

幼い咲耶の「今日は良く晴れた土曜日」という明るいモノローグとは裏腹に、分厚い雲に覆われる灰色の街。
幼少期の彼女と、現在の彼女が休日の街を一人でさまよう様子が描かれます。
空の高い夏の日をゆくワンピースの少女と、かさついた冬の街を特徴的な赤いマフラーでさまよう咲耶
すべてから祝福されたような幼いあの頃と比べ、うつむく彼女は何かの罪を背負ったかのよう。
シスタープリンセスシリーズの二期にあたる本作は十二人の姉妹達が総登場するストーリーズと姉妹ひとりひとりにスポットをあてたキャラクターズの二部構成になっており、キャラクターズの最終回を飾るのが、姉妹では年長グループの咲耶
キャラクターズは各話それぞれ異なる演出家を招いたオムニバスになっており、ゆえに非常に作家性の強い作品が揃いました。
咲耶回は長濱博史さんが演出・絵コンテ・作画監督を務めています。
基本的に明るい調子で兄への愛情を素直に表現する他の姉妹に対し、咲耶はある「気付き」に達している点が大きく異なります。
それは、「兄を想う事は妹には許されない行為である」ということ。
教会で祝福される新婦に憧れてハンカチのベールを掲げる幼い咲耶。いつか訪れるその日を信じて疑わない。しかし今は何故頬を涙が伝うのか。
アニメシスプリで描かれるラストエピソードが「兄に恋する事の罪」であることに、当時驚きました。
それはひとつの成長でもあり、キャラクターが変質していく事でもある。作品のお約束を超えていく事でもある。
色の沈んだ街にひるがえる赤いマフラーが印象的です。フルカラーの思い出とモノクロの現在を同じモノローグで交互に映す演出も時の残酷さを物語っています。
EDの最後に綴られるメッセージ「Thinking of you in this specialday.」は制作者からの視聴者へのメッセージか、誰に贈られることのない咲耶の独白か。(放送当日はクリスマスなのです)
映像で、シナリオで。最終回で視聴者のやわらかいところに踏み込んできたこのエピソードは今も僕の刺になっています。

ストーリー型OPのすすめ

アニメのOPには様々な役割があります。
作品の世界観の提示。
いつの時代で、どこを舞台としているのか。
魅力ある登場人物たちの紹介。
登場人物の交差する想い、そして、彼、彼女らは何を目的とし、どのようにして物語は紡がれていくのか。
OPは作品の紹介の場であり、本編への案内役をこなします。
1分30秒に、これほどかと言わんばかりに情報が詰められるのです。

今回は、そんなOPの中でもちょっと変わり種である「ストーリー型OP」を紹介していきたいと思います。

これは私の造語なのですが、簡単な定義としては一本のストーリーで形成されていて、劇中のいちエピソードを1分30秒に凝縮したような形といいましょうか。
ストーリー型OPの利点としては、臨場感、没入感に秀で、ゴージャスな短編を見た気分を味わえるという効果が挙げられます。
が、一方で、1分30秒前後の短い時間に一本筋のストーリーを挿入すると、作品紹介・本編への導入としての本来の役割を果たす時間が目減りしてしまいます。
そこがまた創意工夫のしがいのあるところでしょう。



ストーリー型OPは非常に短い時間に物語を詰め込む為、登場人物を絞り込む傾向があります。
代表的な例をひとつ挙げます。
シティーハンター3のOPです。

シティーハンターのシリーズ第三弾に当たる今作のOPは、主人公の冴羽リョウと相棒の槇村香のふたりのみが登場。
ストーリーはなんらかのトラブルでヘリに追われた香がリョウの事務所兼寝床に飛び込み、リョウが銃弾の嵐に立ち向かいコルトバイソンでヘリを一撃の下に打ち落とす、という単純明快な筋書きです。
海坊主や冴子などの魅力的なキャラクター、シティーハンターを構成するいくつかの主要素*1は全く登場しません。
香の見事な体裁き、新宿の闇夜を引き裂くアパッチの異様さが見るものを惹きつけます。そして主人公・リョウの渾身の一撃。スカッとしますね。
バトワイザーからアパッチの挙動まで、徹底的にディティールにこだわりまくることで、スイーパーという主人公達の特殊な身の上がストレートに伝わる作りになっています。
作品本編の根幹であるふたりのスイーパーの日常と非日常を描く事「だけ」に全ての時間が捧げられ、必要最低限の要素で物語の魅力を存分に引き出すことに成功しているのです。
終盤のヘリとの一騎打ちもそうですが、序盤のリョウの健康に悪そうな私生活さえ子ども心にかっこ良く憧れたものです。大人になったら私もバトワイザー飲むもんだと思ってた。



もう少し例を挙げます。
OVA「Burn Up W」のOPから。


こちらは3話バージョン。
やましたともなりのクレジットの入った漫画表紙がおしゃれですね。
コミック調に描かれる、近未来ポリスな主人公とギャングのコミカル追跡劇は、これから始まる物語への期待度をぐんと引き上げています。
数多いキャラをさばきながら、事件発生から解決まで詰め込まれたボリューミーさを軽快なタッチで描き切っている秀作です。
軽快なカーアクションにも目を奪われてしまいます。
漫画的な効果音描写なども世界観にマッチしていますね。



戦場のヴァルキュリア後期OPもおすすめの一作。

梅津泰臣さん演出・コンテで描かれる、大迫力のガリアVS帝国軍による市街地戦。
一度の戦闘をみっちり描ききっているので、このまま本編に流用できそう。
第7小隊の主戦力として活躍するエーデルワイス号の砲撃に対する各人のリアクションに性格が現れていて、梅津さんの職人気質を感じます。
主にガリア兵の活躍が中心ですが、戦況が激化していくと、後半はヴァルキュリア人の超絶バトルに移行していきます。
「常識の範囲内の」激しい市街戦からの、人知を超えた超人バトルへのインフレっぷりに見ていて気持ちが昂ります。
ヴァルキュリア人の力を解放したセルベリアの一撃によってなぎ倒される戦車群、積み木のように崩れていく建造物、見応えのある爆発エフェクトにも注目。
二番目のOPということもあって部隊内での人間関係などの細かいことは省く事が可能になり、軍と軍のシンプルな対立構造に注力した結果、実に見応えのあるアクション大作に仕上がりました。



明日のナージャ、こちらも傑作OPです。細田守さんが演出を担当されています。

1分30秒というこの限られた時間内で「ナージャ・アップルフィールドの旅」を描き切る手腕!
基本的に右から左へ駈けて抜けていくOPはストーリー型OPという認識です(スタードライバーとかね)。
ナージャの元気さから、シームレスに彼女のもうひとつのしなやかな魅力へと繋げていくところに胸躍るものを覚えます。
サビのダンスパートからの時間的・物理的な跳躍が大胆かつ軽妙です。
映像のリズムの変調がとても見事で、感情を揺り動かしにかかってきます。
旅には山や谷があって、出会いや別れを繰り返す。時には気分が沈む日もあるけど前を向いて歩こう。
本田美奈子.さんの歌う主題歌「ナージャ!!」がかなり的確に本作を捉えていて、それに十二分に応える、力のある映像になっています。
幼いナージャが扉を開き、やがてレディへと成長して行く様をお見逃しのないよう。



しまじろうのわお!です。初めて見たときの私のツイートを引用します。

地球が生まれ、育っていくまでの壮大さと軽快さ。気持ちいいですねえ。これをしまじろうでやろうっていうのも粋じゃないですか。子ども達の感受性を信じている。
非常にテクニカルで、ユニークです。そして、どこか優しい。子ども達の心にも残るものがあったんじゃないでしょうか。


物語世界の入場門。OPには他にも様々な趣向をこしらえた傑作が沢山揃っています。
私は今回、ストーリー型OPに注目して記事を書きましたが、王道の紹介型OP、ストーリーや作品世界を抽象的に描いたPV型OPなど、素敵なOPは紹介しきれないほどあります。
あなただけの、あなただけが見つけた素晴らしいOPがあれば、是非ご紹介ください。
たくさんのOPが、あなたが扉を開いてくれるのを待っています。
そして一緒に本編の海に飛び込みましょう。
アニメのさらなる発見の旅はまだまだ続きます。

*1:新宿駅掲示板やゲスト美女、もっこりなどのコメディ要素

話数単位で選ぶ、2015年TVアニメ10選

に、参加します。


「話数単位で選ぶ、2015年TVアニメ10選」参加サイト一覧


ルール

・2015年1月1日〜12月31日までに放送されたTVアニメ(再放送を除く)から選定。

・1作品につき上限1話。

・順位は付けない。


2014年の記事はこちら。
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2011年。
http://d.hatena.ne.jp/jujuru/20120101#p1


それでは行きまっしょい。



探偵歌劇 ミルキィホームズ TD 第5話 キャロルの身代金
歌を失くした茉莉音と、失う事を恐れる少女・キャロルの邂逅。
アイドルとは、歌う・演じるとは何か、それを他人はどう評価するのか。
歌えなくなっても歌を強く求める世間との摩擦によって追い込まれる少女と、子役の輝きの消失を恐れる少女は誰も知らないところで密かに響きあう。
ミルキィホームズは第4期となるこのシリーズではサポート役に徹し、茉莉音がシリアス面をひとり背負う変則的な構成に。
今エピソードではシリアスのかせの外れた行動を見せながらも、出来る探偵ぶり(ちゃんとオチがつくが)を見せてたり、ミルキィホームズの可能性の扉がまたひとつ開いたようなシリーズでした。



放課後のプレアデス 第12話 渚にて
当番回もとても心を震わせる良エピソード揃いだったのですが、滂沱のように泣かされた最終エピソードをチョイス。
会長がななこに捧げた「どんな姿になっても、僕は君のプレアデス星人だ」という最後の言葉。これがものすごく良かった。
これは君を全肯定するって宣言ですよね。だって会長はプレアデス星人「じゃない」んですよ。あの名前と見た目はななこの創作なんです。それを否定しないとする会長の別れの言葉にななこは抱擁で返す。もう涙しかないです。
そこからの、それぞれが自分の運命線に戻る決断をするくだりはどこかやるせなく、そして力強かった。
元の運命線で出会う彼女達は今の彼女達とは別人で、そしてこの宇宙の果てまで及んだ冒険の全ては掻き消えてしまう。
それでも元に戻る事を選んだ彼女達の心境を慮るだけで涙腺が刺激されます。
とてもよいジュブナイルでした。
今年ぼろ泣きしたエピソードその1。



アイカツ 第122話 ヴァンパイアミステリー
アイカツで時たま入るドラマ回。
ヴァンパイアをモチーフにしたドラマ仕立ての中にたくさんのネタを混めたこれはアイドルの宝石箱や。
あかりサンシャイン、ジュリアスシーザーサラダなどの長ったらしい名前、スミレジェラートちゃん連呼、魔法少女バンク、美月ちゃんのわりと雑な使い方等、抱腹絶倒。深夜ドラマのチープさの再現がお見事でした。絵コンテ・カトキハジメ



響け!ユーフォニアム 第八回 おまつりトライアングル
麗奈と久美子の逢瀬の美しさは、もうこの世のものではないかのよう。
シリーズ中、幾度も語られる麗奈の凄まじい美しさは今この瞬間に頂点を迎えます。
久美子に「死んでも良い」とまで思わせる壮絶なひとときを描き出す。これは大変な事です。
このワンシーンのために注がれた作画リソースは圧倒的で、トランペットとユーフォの今にも壊れそうな繊細な合奏と相まって、視聴者自身にも「死んでも良い」と一瞬でも思わせてしまう、それは魅惑的なエピソードでした。



アイドルマスターシンデレラガールズ 24話 Barefoot Girl.
輝くアイドルの苦悩を色濃く描いたシリーズの中で、もっとも心揺さぶられた回がこの卯月ライブ回。
あの、胸に小さな灯りを抱えてジャージ姿で煌びやかなシンデレラたちの間を縫って走り抜けるシーン、あそこちょうクるんですよ。
もう、マジでなんもないんです。彼女には。
凛やプロデューサーから見てみれば色々「持っている」んだけど、それをうまく言語化して卯月に伝える事は出来なかったし、彼女自身も自分の才能を信じられなかった。最後まで。
自分の才能は信じられないけど、もうマジでなんもない事をいつか突きつけられるかも知れないけど、今卯月が出した答えは「それでも走る」なんですね。
それはもう、見ていて泣くしかなかったです。
今年ぼろ泣きしたエピソードその2。



コンクリート・レボルティオ〜超人幻想〜 第一話 東京の魔女
今年一番ハマったヒロインは誰か?と尋ねられたら今作の輝子ちゃんを挙げるでしょう。
神化41年、恋に落ちる輝子と、神化46年、ふたたび同じ人を想う輝子。
この描写はのちの展開の暗示にもなっていて、自分があのとき信じていた(が、離れていってしまった)爾朗像が形になって現れて二度目の恋に落ちる、ていうギミック。
時を行ったり来たりして描かれた全十二話の後に再び見る第一話の輝子の姿はほんとに心を締め付けてくるんで、一度皆さんにも味わっていただきたい。



蒼穹のファフナー EXODUS 17話 永訣の火
カノンの死と旅立ち。
竜宮島の人達に対して「死」という表現は正しくないかも知れない。
カノンは竜宮島に還った。いまもまだ、「そこにいる」のでしょう。
孤独な戦いの果てに邂逅する想い人との最後の会話、そしてカノンの涙。
己の体重と同じように静かに別れの準備を進めていくカノンに落涙は禁じえませんでした。
島の命は人によって紡がれる。ファフナーは、10年前からずっと同じメッセージを描き続け、深化させ続けました。
そのひとつの極地がここにあったような気がします。
今年ぼろ泣きしたエピソードその3。



プリパラ 第71話 誕生日の約束、かしこまっ!
なお回はほんともう、好き。
「みんなの」らぁらと「なおの」らぁらの間に知らず知らず線を引いてしまっていたなお。
でも、らぁらはいつでもらぁらなんだよ。そこに気付くまでの優しい話運びがほんと好きよ。
あと、プリパラでは滅多にやらない特殊EDにもグッと来ましたね。
Cパートの紫京院ひびきさんによる宣戦布告にもゾクッと来ましたね。単なる感動話で終わらない。好き。



ゆるゆり さん☆ハイ! #8 それは、誰もが手にする笑顔のカケラ。
サイレント演出からはじまり、ちょっと珍しい組み合わせで攻めてきたり、バラエティ豊かなエピソード。
今期は前期までより笑いへの比重が若干抑えめで、視聴者が優しく彼女達を見守りたくなるような、ほんわかしたエピソードが中心だったように思います。
円熟期に入ったかのような安定さがありましたね。



Go!プリンセスプリキュア 第46話 美しい…!?さすらうシャットと雪の城!
彷徨うシャットさんの孤独と小さな救済のお話。
トワさまから共に歩こうと差し伸べられた手を取れないシャットさん。
彼に残された美しさへのこだわりがそうさせたのかもしれません。
ミス・シャムールのさりげなく、かつ相手のプライドを傷つけないちいさな優しさに胸が締め付けられます。



今年は昨年まではあり得なかった量のぼろ泣きエピソードが3本もありました。
毎年結構な量のアニメを見ても、まだまだアニメを味わい尽くすにはほど遠いようです。
来年はどんなアニメと出会うでしょう。
そしてアニメを通じて、またみなさまとお会いしましょう。
よいお年を。

喰霊-零-のポッキーが「ポッキー」である理由について

本日11月11日はポッキー・プリッツの日だそうです。
それにちなんで、ポッキーが象徴的に使われるアニメ「喰霊-零-」についての記事を書いてみようと思います。




喰霊-零-は退魔師の家柄に生まれた二人の少女の数奇な運命についての物語です。
特殊な家柄とそれゆえの孤独について思い悩む少女・神楽にシンパシーを覚え、距離を縮めようとする黄泉。
そんなふたりの関係の変化について、全編に渡って象徴的に扱われるアイテムがグリコのポッキーです。

ポッキーは、現実でもコンビニやスーパーで気軽に手に入る、お菓子のベストセラーです。
ポッキーのような棒状のチョコレート菓子は、さまざまなアニメの劇中に登場します。
手が汚れずみんなで分けられるお菓子なので、修学旅行や遠足等を描く際、非常に高い確率で登場します。
ですが、ポッキーはグリコの商標なので、その際に使用されるパッケージは「ポッキー的な何か」に替えられています。
全体のエピソードのほんの一瞬の出番ですので、ポッキーではない「ポッキー的な何か」に覚える違和はごくわずかです。
しかし、喰霊-零-では同じ手法は取れなかった。
DVD2巻のオーディオコメンタリーでは、グリコと交渉に当たった伊藤敦プロデューサーとあおきえい監督は以下のように語っています。

(ポッチー等に名前をもじると)作り物感が出てしまう。ふたりの絆を示すキーアイテムなので逃げたくなかった。
クライマックスで使いたかったので、印象に残る、架空のものではないものを使いたかった。


ポッキーというお菓子について多くの人が共有する「みんなで分けあえてお喋りが弾むお菓子」というイメージが喰霊-零-には求められていたのだと思います。
黄泉の持つ幸せの一部を、かつての自分を想起させる神楽に分け与えたかった。その象徴がポッキーなのではないでしょうか。




そうして黄泉が神楽に分けた笑顔の欠片が、彼女を伝ってまた別の誰かに分け与えられていく。
想いは枝分かれし、どこかに芽吹いていきます。



・おまけ
6話で神楽が叫ぶ謎の言葉「OKポッキー!」ですが、86年の本田美奈子.さん出演のポッキーCMで同様のフレーズが使われていたそうです。
今日までしらんかった……。

アイドルマスターシンデレラガールズ 24話感想 〜「何もない」まま駆け出した君へ〜

本日、島村卯月ソロ曲「S(mile)ING!」が収録されたCDを買ってきました。
2012年に発売されたCDということもあり、Amazonでは24話放送後には一時品切れにもなったらしいですね。
私自身も24話に感化されたクチでして、数件はしごした末に無事入手できました。
アニメ効果しゅごい。

THE IDOLM@STER CINDERELLA MASTER 010 島村卯月

THE IDOLM@STER CINDERELLA MASTER 010 島村卯月




24話で印象的だったのは「星」というアイテムの使い方。
常務と武Pの会話でときおり、アイドルの輝きを星に例える場面があります。
その星が、24話ではクリスマスの飾りとして登場します。アイドル達の願いや夢をそこに記し、凛と未央がそれを叶える、と。
集まった星に書かれた「願い」は卯月へのエールが大半で、厚紙に貼られたそれは寄せ書きに近いものとなっていました。
しかし、当の卯月は本番当日になっても願い事が浮かばない。仕事を休んで、ライブ当日まで悩んでも何も書けなかった。
凛は何も書かれていない星を卯月のポケットに挿し入れます。
これはものすごく勇気のいるエールの送り方だと思います。
凛が卯月にかけられる言葉の全てはすでに公園でありったけぶつけてしまって、伝えるべき言葉はもう尽きている。
凛も未央も武Pも、結局「笑顔が良い」「キラキラしてる」以外に、卯月の「持ち物」を言い表す事が出来ませんでした。
卯月に「何もない」と思わせてしまった一因は、そう言った周囲の言動にもあるのかもしれません。
そんな卯月に凛が取ったこの行動は、「何もなくても走り出せ」という、頼りなくて残酷で、でも結局みないつかはそうするしかない、アイドルの厳しさについて雄弁に語っているな、と思いました。
島村卯月には本当に「何もない」のか、走り出さなければ本当のところはわからない。本当に何もないという残酷な未来が待っているかも知れない。それでも、まだ出来る事があるならば。


卯月は悩みを解消できないまま、ステージに挑む事になります。
ただ、空っぽの星を抱えたままで。




深い森の中、きらびやかなシルエットをかき分け、ジャージ姿で駈けてゆく卯月。
胸の星の淡い輝きだけをたよりに、ただがむしゃらにまっすぐ走る。
滴り落ちる汗をそのままに、上擦りそうな歌声で、今はやれる事をやる。
ガラスの靴もドレスも今はもうないけれど、それでも駆け出さなければ本当の答えは見出せない。




CDを聴き込んでから改めて視聴する24話は、もう涙なくして見れなくて、嗚咽を漏らしながらただ泣いてばかりでした。
そのままずばりというか、卯月のこれまでとこれからが敷き詰められている「S(mile)ING!」、ぜひフルで聴いてもらいたいなあ。
ステージ上の大橋彩香さんの歌声がこれがまた、感情の昂りをあえて抑えず、しかし、アイドルとしてのステージを崩さない、ものすごく厳しいラインで歌っていらして、感服するほかありません。
もちろん、アニメ単体でも素晴らしいのだけど、CDとの微細な違い、是非皆さんにも体験してもらいたいし、島村卯月の物語を吸収した後で聴く「S(mile)ING!」も別の彩りに満ちあふれています。




いやまあ、ほんとにしまむーには引っ張り回されました。
23話の「何もなかったらどうしよう」「笑顔なんて、誰にも出来るもん!」ていう、しまむーの焦燥感と来たら。
何もなかったらどうしよう、って、ものすごく怖い想像で、10代の頃に壁に突き当たった人たち、つまりほとんどの人たちには他人事でない悩みに聴こえたのではないでしょうか。
そこももう、自然と落涙してて、自分の柔らかい部分を刺激させられた気分に陥りました。
あそこの大橋彩香さんの熱演もね。あの割れそうで可憐な声にしてやられましたよ。
そこからの「S(mile)ING!」までの、ふらつきながら浮上してゆく姿にただもう無言のエールを送るしかありませんでした。



あと1話残ってるわけですけど、今は卯月の出発の門出を照らす一振りのペンライトの気分で、その時をただ静かに見守るだけです。