島育ちの穂高は光に触れたかった。
雲の晴れ間を追い、東京までやって来た彼は、歌舞伎町の不衛生な環境の中、必死で這いずり回った。彼は東京に来たがっていた。あの光に触れるために。しかし、当座の金を手に入れるため、グレーな仕事を必死でやっているうちに当初の目的を失った。浮き足立っていた。
そこに現れる少女、陽菜こそが光だった。
あの時島で追いかけていたそれのように、きらきらして、近いようで、どこか遠い。
彼女は行き詰まっていた。彼女もまた、地べたに近い人だった。
ここは正しさが支配する街。穂高や陽菜にはずる賢さが必要だった。あるいは豆苗のような逞しさが。
穂高を拾った二人の大人。彼らは優しい人のようでもあり、また、自分の欲求に素直な人たちでもある。彼らとの疑似家族はやすらぎではあったが、それぞれが違う目的で動く。
人々をつなぐロケーションは路地と、半地下の事務所、そして陽菜と凪の慎ましい部屋。じめじめした雨を避ける場所もやはり湿気ていた。
光はここにある。穂高は恵まれていたのかもしれない。いつでも、島で見たあの光景に出会える。そして甘えもあった。大事なものは、いつでも抱えられるようにしていないといけない。光とは、儚く脆く、そして最も大事なのは、永遠ではない。
東京には結界がある。堅牢で、静謐で、清潔なビル群ははぐれものを寄せ付けない。路地裏の地べたを這う人々は、帰り道に迷わぬよう、ネオンの光を道しるべにする。偽物の、極彩色のビームを浴びて、ひと心地をつける。
「今の子ども達は気の毒ね」
正しい人の、これは束縛の魔法だ。どんな「今」であろうと、子どもは生きる。それしかない。しかし、哀れみの言葉は空虚ゆえに、ぽっかり空いた胸の穴に隙間風を送り込む。大人にもやるせない空気を伝播させる。
無理解が壁を作る。無情が蹴りを入れる。無責任が居場所を奪う。
抗うのに必要なのは、足だ。
穂高は走る。
誰かの手は借りても、無策でも、地面を蹴るしか先へは行けない。路地裏を、繁華街を、雨の歩道橋を、延々と歩いた。ようやっと転がり込んだホテルで雨を凌ぎ、暖かい湯とコンビニの「ごちそう」で、冷え切った体にエネルギーを蓄えた。今がその時。
僕は、あの塔まで行くんだ。
地べたを這いずり回った足だ。闘士の足だ。
視線は常に上を向き、しっかりと地を蹴る。
そう、穂高は光に触れたかった。そのために必要な足を、東京で手に入れた。全部、無駄じゃなかった。
選択は成された。良いか悪いかはわからない。しかし、胸は痛んでも後悔はない。たくましく生きる人々に背中を押される。そう、穂高は再び東京にやってきた。
その祈りは誰がために。この高揚はあなたのために。
今、光は地に落ちた。大いなる影とともに。
もう迷わない。もう手を離さない。
決定的に変わってしまった世界で、変わらないものに、もう一度出会えたのだから。