じゅじゅるさん。2

じゅじゅるのへたれ感想ブログ

ストーリー型OPのすすめ

アニメのOPには様々な役割があります。
作品の世界観の提示。
いつの時代で、どこを舞台としているのか。
魅力ある登場人物たちの紹介。
登場人物の交差する想い、そして、彼、彼女らは何を目的とし、どのようにして物語は紡がれていくのか。
OPは作品の紹介の場であり、本編への案内役をこなします。
1分30秒に、これほどかと言わんばかりに情報が詰められるのです。

今回は、そんなOPの中でもちょっと変わり種である「ストーリー型OP」を紹介していきたいと思います。

これは私の造語なのですが、簡単な定義としては一本のストーリーで形成されていて、劇中のいちエピソードを1分30秒に凝縮したような形といいましょうか。
ストーリー型OPの利点としては、臨場感、没入感に秀で、ゴージャスな短編を見た気分を味わえるという効果が挙げられます。
が、一方で、1分30秒前後の短い時間に一本筋のストーリーを挿入すると、作品紹介・本編への導入としての本来の役割を果たす時間が目減りしてしまいます。
そこがまた創意工夫のしがいのあるところでしょう。



ストーリー型OPは非常に短い時間に物語を詰め込む為、登場人物を絞り込む傾向があります。
代表的な例をひとつ挙げます。
シティーハンター3のOPです。

シティーハンターのシリーズ第三弾に当たる今作のOPは、主人公の冴羽リョウと相棒の槇村香のふたりのみが登場。
ストーリーはなんらかのトラブルでヘリに追われた香がリョウの事務所兼寝床に飛び込み、リョウが銃弾の嵐に立ち向かいコルトバイソンでヘリを一撃の下に打ち落とす、という単純明快な筋書きです。
海坊主や冴子などの魅力的なキャラクター、シティーハンターを構成するいくつかの主要素*1は全く登場しません。
香の見事な体裁き、新宿の闇夜を引き裂くアパッチの異様さが見るものを惹きつけます。そして主人公・リョウの渾身の一撃。スカッとしますね。
バトワイザーからアパッチの挙動まで、徹底的にディティールにこだわりまくることで、スイーパーという主人公達の特殊な身の上がストレートに伝わる作りになっています。
作品本編の根幹であるふたりのスイーパーの日常と非日常を描く事「だけ」に全ての時間が捧げられ、必要最低限の要素で物語の魅力を存分に引き出すことに成功しているのです。
終盤のヘリとの一騎打ちもそうですが、序盤のリョウの健康に悪そうな私生活さえ子ども心にかっこ良く憧れたものです。大人になったら私もバトワイザー飲むもんだと思ってた。



もう少し例を挙げます。
OVA「Burn Up W」のOPから。


こちらは3話バージョン。
やましたともなりのクレジットの入った漫画表紙がおしゃれですね。
コミック調に描かれる、近未来ポリスな主人公とギャングのコミカル追跡劇は、これから始まる物語への期待度をぐんと引き上げています。
数多いキャラをさばきながら、事件発生から解決まで詰め込まれたボリューミーさを軽快なタッチで描き切っている秀作です。
軽快なカーアクションにも目を奪われてしまいます。
漫画的な効果音描写なども世界観にマッチしていますね。



戦場のヴァルキュリア後期OPもおすすめの一作。

梅津泰臣さん演出・コンテで描かれる、大迫力のガリアVS帝国軍による市街地戦。
一度の戦闘をみっちり描ききっているので、このまま本編に流用できそう。
第7小隊の主戦力として活躍するエーデルワイス号の砲撃に対する各人のリアクションに性格が現れていて、梅津さんの職人気質を感じます。
主にガリア兵の活躍が中心ですが、戦況が激化していくと、後半はヴァルキュリア人の超絶バトルに移行していきます。
「常識の範囲内の」激しい市街戦からの、人知を超えた超人バトルへのインフレっぷりに見ていて気持ちが昂ります。
ヴァルキュリア人の力を解放したセルベリアの一撃によってなぎ倒される戦車群、積み木のように崩れていく建造物、見応えのある爆発エフェクトにも注目。
二番目のOPということもあって部隊内での人間関係などの細かいことは省く事が可能になり、軍と軍のシンプルな対立構造に注力した結果、実に見応えのあるアクション大作に仕上がりました。



明日のナージャ、こちらも傑作OPです。細田守さんが演出を担当されています。

1分30秒というこの限られた時間内で「ナージャ・アップルフィールドの旅」を描き切る手腕!
基本的に右から左へ駈けて抜けていくOPはストーリー型OPという認識です(スタードライバーとかね)。
ナージャの元気さから、シームレスに彼女のもうひとつのしなやかな魅力へと繋げていくところに胸躍るものを覚えます。
サビのダンスパートからの時間的・物理的な跳躍が大胆かつ軽妙です。
映像のリズムの変調がとても見事で、感情を揺り動かしにかかってきます。
旅には山や谷があって、出会いや別れを繰り返す。時には気分が沈む日もあるけど前を向いて歩こう。
本田美奈子.さんの歌う主題歌「ナージャ!!」がかなり的確に本作を捉えていて、それに十二分に応える、力のある映像になっています。
幼いナージャが扉を開き、やがてレディへと成長して行く様をお見逃しのないよう。



しまじろうのわお!です。初めて見たときの私のツイートを引用します。

地球が生まれ、育っていくまでの壮大さと軽快さ。気持ちいいですねえ。これをしまじろうでやろうっていうのも粋じゃないですか。子ども達の感受性を信じている。
非常にテクニカルで、ユニークです。そして、どこか優しい。子ども達の心にも残るものがあったんじゃないでしょうか。


物語世界の入場門。OPには他にも様々な趣向をこしらえた傑作が沢山揃っています。
私は今回、ストーリー型OPに注目して記事を書きましたが、王道の紹介型OP、ストーリーや作品世界を抽象的に描いたPV型OPなど、素敵なOPは紹介しきれないほどあります。
あなただけの、あなただけが見つけた素晴らしいOPがあれば、是非ご紹介ください。
たくさんのOPが、あなたが扉を開いてくれるのを待っています。
そして一緒に本編の海に飛び込みましょう。
アニメのさらなる発見の旅はまだまだ続きます。

*1:新宿駅掲示板やゲスト美女、もっこりなどのコメディ要素

話数単位で選ぶ、2015年TVアニメ10選

に、参加します。


「話数単位で選ぶ、2015年TVアニメ10選」参加サイト一覧


ルール

・2015年1月1日〜12月31日までに放送されたTVアニメ(再放送を除く)から選定。

・1作品につき上限1話。

・順位は付けない。


2014年の記事はこちら。
http://d.hatena.ne.jp/jujuru/20141228#p1
2013年。
http://d.hatena.ne.jp/jujuru/20131231#p1
2012年。
http://d.hatena.ne.jp/jujuru/20121231#p1
2011年。
http://d.hatena.ne.jp/jujuru/20120101#p1


それでは行きまっしょい。



探偵歌劇 ミルキィホームズ TD 第5話 キャロルの身代金
歌を失くした茉莉音と、失う事を恐れる少女・キャロルの邂逅。
アイドルとは、歌う・演じるとは何か、それを他人はどう評価するのか。
歌えなくなっても歌を強く求める世間との摩擦によって追い込まれる少女と、子役の輝きの消失を恐れる少女は誰も知らないところで密かに響きあう。
ミルキィホームズは第4期となるこのシリーズではサポート役に徹し、茉莉音がシリアス面をひとり背負う変則的な構成に。
今エピソードではシリアスのかせの外れた行動を見せながらも、出来る探偵ぶり(ちゃんとオチがつくが)を見せてたり、ミルキィホームズの可能性の扉がまたひとつ開いたようなシリーズでした。



放課後のプレアデス 第12話 渚にて
当番回もとても心を震わせる良エピソード揃いだったのですが、滂沱のように泣かされた最終エピソードをチョイス。
会長がななこに捧げた「どんな姿になっても、僕は君のプレアデス星人だ」という最後の言葉。これがものすごく良かった。
これは君を全肯定するって宣言ですよね。だって会長はプレアデス星人「じゃない」んですよ。あの名前と見た目はななこの創作なんです。それを否定しないとする会長の別れの言葉にななこは抱擁で返す。もう涙しかないです。
そこからの、それぞれが自分の運命線に戻る決断をするくだりはどこかやるせなく、そして力強かった。
元の運命線で出会う彼女達は今の彼女達とは別人で、そしてこの宇宙の果てまで及んだ冒険の全ては掻き消えてしまう。
それでも元に戻る事を選んだ彼女達の心境を慮るだけで涙腺が刺激されます。
とてもよいジュブナイルでした。
今年ぼろ泣きしたエピソードその1。



アイカツ 第122話 ヴァンパイアミステリー
アイカツで時たま入るドラマ回。
ヴァンパイアをモチーフにしたドラマ仕立ての中にたくさんのネタを混めたこれはアイドルの宝石箱や。
あかりサンシャイン、ジュリアスシーザーサラダなどの長ったらしい名前、スミレジェラートちゃん連呼、魔法少女バンク、美月ちゃんのわりと雑な使い方等、抱腹絶倒。深夜ドラマのチープさの再現がお見事でした。絵コンテ・カトキハジメ



響け!ユーフォニアム 第八回 おまつりトライアングル
麗奈と久美子の逢瀬の美しさは、もうこの世のものではないかのよう。
シリーズ中、幾度も語られる麗奈の凄まじい美しさは今この瞬間に頂点を迎えます。
久美子に「死んでも良い」とまで思わせる壮絶なひとときを描き出す。これは大変な事です。
このワンシーンのために注がれた作画リソースは圧倒的で、トランペットとユーフォの今にも壊れそうな繊細な合奏と相まって、視聴者自身にも「死んでも良い」と一瞬でも思わせてしまう、それは魅惑的なエピソードでした。



アイドルマスターシンデレラガールズ 24話 Barefoot Girl.
輝くアイドルの苦悩を色濃く描いたシリーズの中で、もっとも心揺さぶられた回がこの卯月ライブ回。
あの、胸に小さな灯りを抱えてジャージ姿で煌びやかなシンデレラたちの間を縫って走り抜けるシーン、あそこちょうクるんですよ。
もう、マジでなんもないんです。彼女には。
凛やプロデューサーから見てみれば色々「持っている」んだけど、それをうまく言語化して卯月に伝える事は出来なかったし、彼女自身も自分の才能を信じられなかった。最後まで。
自分の才能は信じられないけど、もうマジでなんもない事をいつか突きつけられるかも知れないけど、今卯月が出した答えは「それでも走る」なんですね。
それはもう、見ていて泣くしかなかったです。
今年ぼろ泣きしたエピソードその2。



コンクリート・レボルティオ〜超人幻想〜 第一話 東京の魔女
今年一番ハマったヒロインは誰か?と尋ねられたら今作の輝子ちゃんを挙げるでしょう。
神化41年、恋に落ちる輝子と、神化46年、ふたたび同じ人を想う輝子。
この描写はのちの展開の暗示にもなっていて、自分があのとき信じていた(が、離れていってしまった)爾朗像が形になって現れて二度目の恋に落ちる、ていうギミック。
時を行ったり来たりして描かれた全十二話の後に再び見る第一話の輝子の姿はほんとに心を締め付けてくるんで、一度皆さんにも味わっていただきたい。



蒼穹のファフナー EXODUS 17話 永訣の火
カノンの死と旅立ち。
竜宮島の人達に対して「死」という表現は正しくないかも知れない。
カノンは竜宮島に還った。いまもまだ、「そこにいる」のでしょう。
孤独な戦いの果てに邂逅する想い人との最後の会話、そしてカノンの涙。
己の体重と同じように静かに別れの準備を進めていくカノンに落涙は禁じえませんでした。
島の命は人によって紡がれる。ファフナーは、10年前からずっと同じメッセージを描き続け、深化させ続けました。
そのひとつの極地がここにあったような気がします。
今年ぼろ泣きしたエピソードその3。



プリパラ 第71話 誕生日の約束、かしこまっ!
なお回はほんともう、好き。
「みんなの」らぁらと「なおの」らぁらの間に知らず知らず線を引いてしまっていたなお。
でも、らぁらはいつでもらぁらなんだよ。そこに気付くまでの優しい話運びがほんと好きよ。
あと、プリパラでは滅多にやらない特殊EDにもグッと来ましたね。
Cパートの紫京院ひびきさんによる宣戦布告にもゾクッと来ましたね。単なる感動話で終わらない。好き。



ゆるゆり さん☆ハイ! #8 それは、誰もが手にする笑顔のカケラ。
サイレント演出からはじまり、ちょっと珍しい組み合わせで攻めてきたり、バラエティ豊かなエピソード。
今期は前期までより笑いへの比重が若干抑えめで、視聴者が優しく彼女達を見守りたくなるような、ほんわかしたエピソードが中心だったように思います。
円熟期に入ったかのような安定さがありましたね。



Go!プリンセスプリキュア 第46話 美しい…!?さすらうシャットと雪の城!
彷徨うシャットさんの孤独と小さな救済のお話。
トワさまから共に歩こうと差し伸べられた手を取れないシャットさん。
彼に残された美しさへのこだわりがそうさせたのかもしれません。
ミス・シャムールのさりげなく、かつ相手のプライドを傷つけないちいさな優しさに胸が締め付けられます。



今年は昨年まではあり得なかった量のぼろ泣きエピソードが3本もありました。
毎年結構な量のアニメを見ても、まだまだアニメを味わい尽くすにはほど遠いようです。
来年はどんなアニメと出会うでしょう。
そしてアニメを通じて、またみなさまとお会いしましょう。
よいお年を。

喰霊-零-のポッキーが「ポッキー」である理由について

本日11月11日はポッキー・プリッツの日だそうです。
それにちなんで、ポッキーが象徴的に使われるアニメ「喰霊-零-」についての記事を書いてみようと思います。




喰霊-零-は退魔師の家柄に生まれた二人の少女の数奇な運命についての物語です。
特殊な家柄とそれゆえの孤独について思い悩む少女・神楽にシンパシーを覚え、距離を縮めようとする黄泉。
そんなふたりの関係の変化について、全編に渡って象徴的に扱われるアイテムがグリコのポッキーです。

ポッキーは、現実でもコンビニやスーパーで気軽に手に入る、お菓子のベストセラーです。
ポッキーのような棒状のチョコレート菓子は、さまざまなアニメの劇中に登場します。
手が汚れずみんなで分けられるお菓子なので、修学旅行や遠足等を描く際、非常に高い確率で登場します。
ですが、ポッキーはグリコの商標なので、その際に使用されるパッケージは「ポッキー的な何か」に替えられています。
全体のエピソードのほんの一瞬の出番ですので、ポッキーではない「ポッキー的な何か」に覚える違和はごくわずかです。
しかし、喰霊-零-では同じ手法は取れなかった。
DVD2巻のオーディオコメンタリーでは、グリコと交渉に当たった伊藤敦プロデューサーとあおきえい監督は以下のように語っています。

(ポッチー等に名前をもじると)作り物感が出てしまう。ふたりの絆を示すキーアイテムなので逃げたくなかった。
クライマックスで使いたかったので、印象に残る、架空のものではないものを使いたかった。


ポッキーというお菓子について多くの人が共有する「みんなで分けあえてお喋りが弾むお菓子」というイメージが喰霊-零-には求められていたのだと思います。
黄泉の持つ幸せの一部を、かつての自分を想起させる神楽に分け与えたかった。その象徴がポッキーなのではないでしょうか。




そうして黄泉が神楽に分けた笑顔の欠片が、彼女を伝ってまた別の誰かに分け与えられていく。
想いは枝分かれし、どこかに芽吹いていきます。



・おまけ
6話で神楽が叫ぶ謎の言葉「OKポッキー!」ですが、86年の本田美奈子.さん出演のポッキーCMで同様のフレーズが使われていたそうです。
今日までしらんかった……。

アイドルマスターシンデレラガールズ 24話感想 〜「何もない」まま駆け出した君へ〜

本日、島村卯月ソロ曲「S(mile)ING!」が収録されたCDを買ってきました。
2012年に発売されたCDということもあり、Amazonでは24話放送後には一時品切れにもなったらしいですね。
私自身も24話に感化されたクチでして、数件はしごした末に無事入手できました。
アニメ効果しゅごい。

THE IDOLM@STER CINDERELLA MASTER 010 島村卯月

THE IDOLM@STER CINDERELLA MASTER 010 島村卯月




24話で印象的だったのは「星」というアイテムの使い方。
常務と武Pの会話でときおり、アイドルの輝きを星に例える場面があります。
その星が、24話ではクリスマスの飾りとして登場します。アイドル達の願いや夢をそこに記し、凛と未央がそれを叶える、と。
集まった星に書かれた「願い」は卯月へのエールが大半で、厚紙に貼られたそれは寄せ書きに近いものとなっていました。
しかし、当の卯月は本番当日になっても願い事が浮かばない。仕事を休んで、ライブ当日まで悩んでも何も書けなかった。
凛は何も書かれていない星を卯月のポケットに挿し入れます。
これはものすごく勇気のいるエールの送り方だと思います。
凛が卯月にかけられる言葉の全てはすでに公園でありったけぶつけてしまって、伝えるべき言葉はもう尽きている。
凛も未央も武Pも、結局「笑顔が良い」「キラキラしてる」以外に、卯月の「持ち物」を言い表す事が出来ませんでした。
卯月に「何もない」と思わせてしまった一因は、そう言った周囲の言動にもあるのかもしれません。
そんな卯月に凛が取ったこの行動は、「何もなくても走り出せ」という、頼りなくて残酷で、でも結局みないつかはそうするしかない、アイドルの厳しさについて雄弁に語っているな、と思いました。
島村卯月には本当に「何もない」のか、走り出さなければ本当のところはわからない。本当に何もないという残酷な未来が待っているかも知れない。それでも、まだ出来る事があるならば。


卯月は悩みを解消できないまま、ステージに挑む事になります。
ただ、空っぽの星を抱えたままで。




深い森の中、きらびやかなシルエットをかき分け、ジャージ姿で駈けてゆく卯月。
胸の星の淡い輝きだけをたよりに、ただがむしゃらにまっすぐ走る。
滴り落ちる汗をそのままに、上擦りそうな歌声で、今はやれる事をやる。
ガラスの靴もドレスも今はもうないけれど、それでも駆け出さなければ本当の答えは見出せない。




CDを聴き込んでから改めて視聴する24話は、もう涙なくして見れなくて、嗚咽を漏らしながらただ泣いてばかりでした。
そのままずばりというか、卯月のこれまでとこれからが敷き詰められている「S(mile)ING!」、ぜひフルで聴いてもらいたいなあ。
ステージ上の大橋彩香さんの歌声がこれがまた、感情の昂りをあえて抑えず、しかし、アイドルとしてのステージを崩さない、ものすごく厳しいラインで歌っていらして、感服するほかありません。
もちろん、アニメ単体でも素晴らしいのだけど、CDとの微細な違い、是非皆さんにも体験してもらいたいし、島村卯月の物語を吸収した後で聴く「S(mile)ING!」も別の彩りに満ちあふれています。




いやまあ、ほんとにしまむーには引っ張り回されました。
23話の「何もなかったらどうしよう」「笑顔なんて、誰にも出来るもん!」ていう、しまむーの焦燥感と来たら。
何もなかったらどうしよう、って、ものすごく怖い想像で、10代の頃に壁に突き当たった人たち、つまりほとんどの人たちには他人事でない悩みに聴こえたのではないでしょうか。
そこももう、自然と落涙してて、自分の柔らかい部分を刺激させられた気分に陥りました。
あそこの大橋彩香さんの熱演もね。あの割れそうで可憐な声にしてやられましたよ。
そこからの「S(mile)ING!」までの、ふらつきながら浮上してゆく姿にただもう無言のエールを送るしかありませんでした。



あと1話残ってるわけですけど、今は卯月の出発の門出を照らす一振りのペンライトの気分で、その時をただ静かに見守るだけです。

コンクリート・レボルティオ〜超人幻想〜 第一話「東京の魔女」を見て 〜恋心で起動/再起動する星野輝子の幻想について〜

この秋からの新番組「コンクリート・レボルティオ」の一話を繰り返し見ている。
はじめは「この星野輝子というヒロイン、しぐさがかわいいな」とかいった体でぼんやり眺めて喜んでいたが、とあるセリフが引っかかり何度も視聴しているうちに、どんどん彼女の放つ「幻想」にはまっていった。



第一話は神化41年と神化46年の出来事が平行して描かれている。
星野輝子の初恋と、そのくり返しについて。

「爾郎さん、わたし、二十歳になりました」


輝子を語る前にまず「魔女っ子」という概念に触れないといけない。
この後作中でどう描かれるかによって意味合いは変わってくるが*1、まずここでは暫定的に、魔女っ子とは、少女の身でありながら、大人をも凌駕する力を行使する魔女を指す、とする。
その力は期限付きで、大人になったら手放すか、もしくは人並みの暮らしを捨てるか選択しなければならない。


魔法の力の根源は「幻想」だ。
こうありたいと夢見る少女の幻想が姿見を変化させる。
神化41年7月、少女は人吉爾郎に出会い、恋に落ちた。
神化46年4月、彼女は魔女の力で爾郎を追う。輝子は二十歳になっていた。


「爾郎さん、わたし、二十歳になりました」は重い告白だ。


その言葉からは爾郎と出会ってからの月日の重みと、大人になった自分を見て欲しいという純なる願いと、そしてなにより、己自身を束縛する呪いが強く滲み出ている。
二十歳は、もう少女じゃない。
第一話のサブタイトルは「東京の魔女」だ。
彼女は幻想とともに生きる選択をしたのだろうか。それは、いったい何のために。
告白の後の、風郎太の苦い表情が胸に刺さる。


輝子は、グロスオーゲンと混じった青年が爾郎によって救われていた事実を知ってしまう。
爾郎と出会い、心にともした熱がふたたびよみがえる。
あの素晴らしい愛をもう一度
星野輝子は魔女っ子だ。もう、二十歳になった。



恋心という「幻想」が、「魔女っ子」の能力を再起動させる。少女だった頃の幻想を捨てきれない彼女は今はどちらに立つ者なのか。
雨の中、爾郎の消えた空を見つめる眼差しは儚く、しかし愛おしいものに見えた。
空に消えゆく川本真琴の歌声、それは恋心のリフレイン。
いまここに起動し、再起動した星野輝子の幻想に目が離せない。

*1:劇中では魔女っ子と呼ばれているが、公式サイトには魔法少女との表記もある。魔法少女との区分のあいまいさもある

長井龍雪監督とロボットエモーション 〜長井龍雪監督ロボットの系譜から「機動戦士ガンダム 鉄血のオルフェンズ」への期待〜

新作長編映画心が叫びたがってるんだ。」の公開を控えている長井龍雪監督。
長井監督作品の特徴は「心の揺れを大胆かつ繊細に描く」ところにあると思っています。
そんなところが、とても好きな監督のひとりです。
思春期の少年少女の青春もののイメージが強い監督ですが、その時々に登場する「ロボット」は非常にダイナミックに登場人物のエモーションを代弁します。




そんな長井龍雪監督が、なんとガンダムを手掛ける、というビッグニュースが本日届きました。
その名も「機動戦士ガンダム 鉄血のオルフェンズ」。
僕は初見で、主役MSのガンダムバルバトスの面構えから非常に強い怒りの感情を受け取ったんですね。
憤怒。庇のように突っ張った角の先端は眉根を寄せているようにも見えるし、彫りの深い眼は威圧的です。
本来感情の宿らないMSに、ノーマルな状態で、ここまでの怒りを前面に押し出しすフェイスデザインにした意図とはどのようなものでしょう。
ロボットが感情を持っているかのように描写する演出は珍しくありません。
モノアイからオイルの涙を流させたり、能面のような顔に影が走るようなアングルにして不気味さを演出してみせたり。
それはその時々の演出家の裁量で「ロボットに感情が宿ったかのように見える」もしくは「搭乗者の心情をロボットが代弁した」ように描かれてきたものですが、このガンダムバルバトスはデザインの段階で憤怒の表情を顔にまとわりつかせているように見えます。ノーマル時から怒っている。
その射抜くような眼光に、私は恐怖すら覚えました。
これは虐げ続けた大人達への反逆の意志が乗り移ったものなのか。そして、その怒りは持続するものなのか。
クーデターを起こした彼ら少年兵の怒りの矛先が宙に浮いた時、バルバトスは憤怒の表情を保っていられるのか。
ガンダムの面構えだけでも、色んな妄想が出来ちゃいますね。



このように、長井監督は初アニメ監督作品であるアイドルマスター XENOGLOSSIA」以降の作品でも、要所要所でロボットを配置し、搭乗者・操縦者のエモーションをロボットに託します。
※7月16日追記
アイドルマスター XENOGLOSSIA」は初監督作品ではない、とのご指摘がありました。長井龍雪監督の初監督作品は「ハチミツとクローバーII」でした。訂正しておわびします。



例えば、青春SFアニメ「あの夏で待ってる」最終回では、寡黙で謎の多い檸檬先輩の変わりに、ハイエースに手足が生えたロボが荒ぶる心の裡を代弁する、というシーンがあります。
位置的にジョジョのスタンド発現のようにも見えますね。ハイエースがオラオラとか叫びそう。




超能力者の異能バトルと超能力に振り回される人々の有り様を描いた「とある科学の超電磁砲」でも終盤、黒幕のテレスティーナがロボットに搭乗して御坂美琴らに襲いかかります。
大原さやかさんのドスの利いた雄叫びに乗せて、嵐のようなロケットパンチが美琴を襲います。
美琴のレールガンの弱点――射程に明確な限りがある――を事前に見抜きながら、自身の主力兵装が「有線式ロケットパンチ(撃ったら使い捨て)」って、自信の現れなのか、舐め切ってるだけなのか。
テレスティーナというひとの、科学者としての才覚とそれに相反する傲岸不遜さが形をなしたようなロボットデザインです。あと、四連式ロケットパンチってすてきね。
このテレスティーナロボの野暮ったいデザイン、パトレイバーで例えると、ラスボスがグリフォンや零式じゃなくて酒飲んでやけっぱちになった親父が乗る作業用レイバー(安全第一とか書いてある)、みたいなとんちきな絵面になってんのがすげえ好きなんですよ。テレスティーナの化けの皮が剥がれ、言葉遣いが荒れまくってるのもそのとんちきさに拍車をかけてますね。




その続編にあたる「とある科学の超電磁砲S」でも、やはり最終回に婚后航空の超技術力で作られた巨大ロボ「エカテリーナ二世号改」が登場します。
白地に青が眩しいボディと、極度に発達した碗部が非常に雄々しいです。ヒーロー的なカラーリングに反して、一期と同じく、どこか土木・建築作業機械を思わせるアイテムが散りばめられていてちょっとちぐはぐな印象を与えているのも、搭乗する佐天涙子さんのヒーロー願望の強さと、泥臭く生きていくしかない、今の彼女の心境を見事に現している、ように見えなくもありません。
そんな彼女が青空に放つパイルバンカーはひっじょうに勇ましく、無力さに苛まれ続けた彼女のヒーロー願望が一気に昇華された瞬間でもあります。




これら長井監督作品群の「ロボットの挙動で感情を表現してみせる」ギミックの大元は2007年作「アイドルマスター XENOGLOSSIA」から見られたものです。
ただひとつ違うのは、心情の吐露がロボット側から発せられる点――感情を持ってるかも知れないロボットから搭乗者へのささやかながらも実に情熱的なアプローチ――です。
このアニメは、月が粉々に砕けた世界で隕石落下を防ぐ手段が「ロボットでぶん殴る」、なんて奇想天外な発想だったもんで、当時とても心が躍ったものです。逞しく主張する巨大アームがとても雄々しい。
人格を宿した(と言われる)ロボット「iDOL(アイドル)」インベルが、アイドルマスターと呼ばれる搭乗者・天海春香に次第に恋心を抱くようになります。
iDOLのインベルは言葉は発しませんが、わずかな挙動で描かれる心情描写がとても秀逸です。上記作品群とは違い、人の代弁者ではありませんが、ロボットの挙動にエモーションを籠める手法はこの頃から顕著だったと言えるでしょう。



さて、ここまで長井龍雪監督作品に登場するロボットについておさらいしてみました。
ロボットが搭乗者や操縦者の想いを代弁する――まるで自分の身体の延長のように。
そうした手法を用いるロボットアニメは沢山あります。
が、ここまで振り返ってもう一度最新作「機動戦士ガンダム 鉄血のオルフェンズ」のガンダムバルバトスを拝見すると、常時憤怒の顔にはやはり鬼気迫るものを相当に感じます。バルバトスに託した、彼らの蓄積された怒りの感情がどこまで続くのか。彼らの幼い出で立ちを見ると、ある日突然ぷつん、と怒りが持続できなくなる日が来るんじゃないか、なんて邪推してしまうんです。彼らの起こすクーデターの規模とその最終目標が達成に向かえば、緊張の糸が切れる日もそう遠くはないでしょう。その時、彼らに、そして僕らにバルバトスはどのような表情を見せるのか。



長井監督が脈々と描き続けてきたロボットエモーションは「戦争」という非日常な場と「裏切り」という感情のブーストを経て、より苛烈な感情の発露をバルバトスに託す事になるでしょう。
アイドルマスター XENOGLOSSIA」から各作品を経て受け継がれ続けてきた、ロボットという身体の延長から発せられる感情の発露。
鋼の肉体は次はどんな衝動を糧に、戦場を跳躍するのか。
機動戦士ガンダム 鉄血のオルフェンズ」。長井監督の真骨頂であり新機軸になりそうです。



どうでもいいおまけ話
とある科学の超電磁砲」のロボットとのチェイスシーンの元ネタはメガドライブ魂斗羅 ザ・ハードコア」か「ガンスターヒーローズ」の強制スクロール面だよ説が一部では上がっているんですがどうでしょうか。ないでしょうか。

アニメビジエンスを読んで 〜数字という生き物について〜

アニメ業界誌「アニメビジエンス」の「フォローで試し読みキャンペーン」に当選しまして、2号と6号をプレゼントしていただきました。
A4で上質な紙質。本文はオールカラーで、著名イラストレーターによる、名作アニメをモチーフとした表紙絵が強く目に焼き付きます。渾身の筆致で描かれた表紙に魅入られて購入する人も多いのではないでしょうか。それほどの特別感を覚える表紙です。山田章博先生のデビルマン、最高。
しかし、眉目麗しい絵的なサービスはほぼ表紙で終了。そう、これは業界誌。
それも、アニメ業界唯一の業界誌なんだそうです。



いわゆるアニメ誌のようにピンナップや設定資料、最新アニメ情報が載っているわけではなく、業界のトピックや業界全体の展望について興味がある人用。業界誌だからね。
アニメにまつわる様々なデータとその検証、それらを踏まえた現在のビジネス展開と、未来への展望を探る。
今回はそんなアニメビジエンスを読んだ感想を書きたいと思います。
ちなみに今回、2号と6号を希望したのは*1、アニメ業界で現在注目を集めている聖地巡礼ビジネスと、音楽業界のように関連する他業界との今後のあり方について興味があったから。



つい最近、SHIROBAKOという、アニメ制作現場を舞台にしたアニメが人気を博しました。その前後から制作の現場について興味を持つアニメファンが増え、専門用語や部署の役割について広く知られるようになりつつあります。
アニメビジエンスはアニメ業界、その中でも現場の外周で活躍する人々の仕事を追います。アニメの企画にどのようなラインを引くのか、現場で作り上げた作品にどのような価値を付加するのか。より多くの人々を巻き込み、作品の魅力を伝えるために活躍する人たちは今何を考え、活動しているのか。現場の魅力の一部を除き見た私は、その周辺の人たちの思惑も知りたくなったのです。



聖地巡礼特集では、聖地巡礼の現在を紹介しつつ、アニメ制作側と地域の思惑が完全に一致しているわけではないことが強調されています。
テレビアニメは1クール数ヶ月で終わる作品が多くなりましたが、アニメ制作側は出来るだけコンテンツの延命を計りたい。その一方で、プロデューサーには次の仕事も控えているわけで、いつまでもひとつの作品に注力は出来ません。そんなアニメ制作側と、長期に渡る経済効果を狙いたい地方との仲介役としてコーディネーターが必要となってくる。聖地巡礼で成功した作品では必ずといっていいほどそのような人物が活躍しているそうです。これからの聖地巡礼ビジネスはそういった人材の育成がかかせなくなるといった指摘には頷くものがあったし、業界誌ならではの視点でしょう。



経済効果○億円、と数字だけ見せられてもピンと来ませんが、アニメビジエンスはその数字に至るヒントをいくつか授けてくれます。「これをやれば間違いない」といったヒットの法則はないのかもしれません。過去のヒット作から学べることは多いでしょうが、ヒットの要因とされる要素をトレースしてもヒット作が生まれるとは限りません。
地域振興として時に「失敗例」として名前を挙げられる「輪廻のラグランジェ」について、アニメビジエンスはアニメ制作側と地方の関係性の深さに言及。お互いに「何が出来て何が出来ないか」を共有・理解し、地域の人材育成を促し、鴨川らしいビジネス展開を呼び込むことに成功。例えば鴨川の情報紙「KamoZin」や鴨川エナジーがそれに当たります。これらの展開は数字を見つめるだけでは発見できない「生」の動き。輪廻のラグランジェの地域振興は、世代や地域を横断し、さらなる地域活性へ向けた持続力を育みます。本格的に花開くのはむしろこれからなのかも知れませんね。



その他にもデータ特集では年間ビデオグラム売り上げの総括や歴代アニソンの系列の分析など、データから流れを読む記事なども収録されており、大変読み応えがあります。
数字には理由があり、その意味合いも時代や視点によって変わっていきます。



アニメビジエンスを読んで、数字は文字列ではなくつねに胎動する生き物だと痛感しました。時代は刻一刻と移り変わり、ただ漫然と作品を世に送り出すのではなく、今の流れを読み、次の流れを作る試みが常に求められています。その結果が数字として現れるということを、今回再確認しました。
これから見るアニメの風景が、少し違って見えるかもしれませんね。

*1:なんと希望の号が二冊当たる企画なのだ