そしてもう一度振り返る山吹沙綾とCHiSPAの物語

イベントストーリー「Welcome To Open school!」読み終わりました。

ポピパ箱イベなんですが、山吹沙綾さんについてのさらなる掘り起こしがありました。

このブログでは何度か沙綾についての記事を書いてきました。

 

jujuru.hatenablog.com

この記事では「沙綾は自分を誰かの、もしくはみんなをサポートするのが役割だと思っている」と書きました。これはポピパ一年生の時、アニメバンドリ一期を見た当時の僕の所感です。


jujuru.hatenablog.com

こちらは前記事と同年に公開されたガルパ内イベント「HAPPY Poppin'Xmas」で描かれた事を踏まえて沙綾とCHiSPAがこれまで歩んできた道程について書きました。

 

jujuru.hatenablog.com

こちらはアニメ二期9話の感想なんですが、半分以上沙綾の話です。彼女のネガティブな部分が出ているお話で、それが他のポピパメンバーとの温度差を生んでいるという内容です。

 

どうして僕はここまで沙綾が気になってるんでしょう。沙綾がピックアップされているエピソードなら、ガルパ内だけでも、薫さんの別荘に行く話とか趣味探しなどのポジティブなお話もいっぱいあるんですね。でも上記3つはネガティブな部分を大きく含んでいる。そこが気になるのか? と言えばそうとばかりは言えなくて、「沙綾にとってのCHiSPA」に触れる(もしくはCHiSPAの影を感じる)エピソードがすっごい好きなんですよ……。

 

沙綾が立ち止まる時、脳裏を何度もかすめるCHiSPAのみんなの姿。これからポピパが何年続こうとも、CHiSPAと過ごした日々は沙綾の中でかけがえない時間だったはず。と、感じるわけです、が! 行き詰まった時にポップアップするのもCHiSPAだったりするんですよね……。しかし今回はどうだったか。ある一通のアンケート用紙を見つけた沙綾はCHiSPAを笑顔でいた思い出として振り返るんです。

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 僕は「今だからこそ語る山吹沙綾とCHiSPAの物語」と言う記事でこう書いています。

 

今後も、沙綾の新たな面を見ることになるでしょう。そのときにポップアップされるCHiSPAの面々が今度は優しく微笑んでいてくれているだろうと、今は確信を持って言えます。

そのときがついに訪れたわけで、感無量なわけです。

ガルパでは明るい沙綾が描かれる一方、アニメ二期や午後の紅茶コラボでは寂しそうな一面を見せたり、ファンとしてはもやもやする時期がありました。

 

CHiSPAは沙綾を笑顔にする、彼女の大切な友達なんです。彼女達はつねに笑顔で沙綾に接してきた。沙綾がCHiSPAを辞めた後も。CHiSPAとの日々は悲しい思い出なんかじゃなかった。互いに笑える日々はもうすでにとなりにあった事に沙綾は気づきました。長かったよ……。

 

山吹沙綾はPopp'nPartyの山吹沙綾だけど、CHiSPAのみんなもまた大切な友達。あの体育館前の出来事から沙綾とCHiSPAの時計の針は再び動き出していたんだと、一枚のアンケート用紙が思い出させてくれた。

これからまた僕が山吹沙綾さんとCHiSPAの記事を書く時には、もうネガな事は書かないでしょう。それを確信した、心に残るエピソードとなりました。

エヴァンゲリオンをただ静かに眠らせて

コロナで公開延期になっていたシリーズ最終作「シン・エヴァンゲリオン劇場版」の公開日がきょう発表になりました。今をときめく「鬼滅の刃」の劇場版で予告が流れたそうです。

 

 

今の気持ちを率直に語るなら、僕自身年齢相応にガタが来ているが、まだ総崩れとはいかないうちにエンドマークをつけてくれそうで、まずは安心しています。何より、ご高齢の演者さんがいらっしゃって、不謹慎ではありますがいろいろヤキモキしていたのもあり、これで肩の荷が降りたかな、というのが正直なところです。

 

エヴァについてはこのブログではあまり触れてきませんでした。「序」と「破」の公開時に簡単な感想を載せたくらいでしょう。「Q」は、ちょっと感想書けるテンションじゃなかったです。

jujuru.hatenablog.com

jujuru.hatenablog.com

 

読んでいただければ分かる通り、新劇に関しては一貫してエンタメ、娯楽映画として楽しんでいます。シンジの内面世界がどうとか、アスカの危うい精神状態とか、もうそういうのはどうでもいいよ、前と同じじゃなくて良いじゃん、てスタンスです(アスカはたくましくなりましたよね。加地さんへの恋愛要素がオミットされたのもよかった。でもあの子、惣流じゃなくて式波さんだしなあ……)。それはやり尽くしたし、リブートするなら新たな切り口から見せて欲しい。意味ありげな専門用語を吹っかけまくる作風についてももう古いなと感じていましたが、「Q」を見て確信しました。これはすべての謎を解明する気ないな、と。まあそもそもTV版からし意味深なタームを多用して煙に巻くシリーズですからね……。シンちゃんが何を成すのか/成さないのか、それだけに焦点を絞って描かれるのではないでしょうか。それで良いとは思いますが、それにしては撒き餌が多すぎるんですよ。

 

gigazineに新劇場版プロジェクト発表時の庵野秀明総監督の所信表明が残されています。

gigazine.net

 

そこでは、「誰もが楽しめるエンターテイメント映像を目指します」と締め括られています。僕はこの言葉を素直に歓迎しました。

テレビ版最終回にせよ、旧劇にせよ、私は見たいものを見ることができなかった。これは僕個人の意見です。どちらも楽しめはしたんですが、「違う、そうじゃない」という思いは消せません。

 

劇場公開直前の僕は浮かれていました。大スクリーンで「真のエンディングが見れる」、それがどれほど嬉しいことか。春エヴァのアスカの(偽りの)復活、鳥肌の立つエンディング入りの美しさ。夏が楽しみで仕方がなかった。

 

これはほんとに反省しているのですが、春・夏エヴァとも、松竹系の小さな映画館の外側に何時間も行列を作ってしまっていました。近隣の住民の方々には大変迷惑だったことでしょう。ごめんなさい。僕は長い待ち時間、前に並んだ見知らぬ人とエヴァ談義に興じていました。カバンに忍ばせたスキゾ・パラノエヴァンゲリオンを取り出し、なにやら自分の手柄のようにエヴァの裏側を解説した記憶があります。若気の至り。劇場に入場し、再び顔を合わせることはありませんでしたが、とても聞き上手な方でした。いまはどうなさっているのかな。汗をかきかき、好きを共有する。それは楽しい待ち時間でした。

 

視聴後、僕の胸中はめちゃくちゃでした。

僕は並み居る量産機と大暴れする初号機が見たかった。僕の目には、テレビ版と旧劇は同じものにしか映りませんでした。テレビ版でシンジが補完されている最中、弍号機は外の世界で壮絶な戦いが繰り広げていました。アスカの無残な姿を目にした初号機が、量産機を相手に仇討ちを繰り広げる様が見たかった。初号機には主役たる活躍をして欲しかった。しかしそうはなりませんでした。メタ的な表現を用い、いつまでもエヴァに縛られている熱狂的なファンに再び冷や水を引っ掛けました。僕は観劇後、欲しいグッズを前もって書き記す用紙を一度は手にしたものの、それをポケットにしまって劇場を後にしました。はやく現実に帰らないと。庵野監督がそれを望んでいる。僕も、もう束縛されたくなかったのです。

 

見たいものは見れませんでしたが、反面、気分は清々しかったように思い起こされます。もうこれで、エヴァから卒業できる。が、結果としてそうはならなかった。

 

仕事がうまくいかず、精神的に荒れていました。そして二度三度映画館に足を運ぶことに。最後の方は、「この世界の片隅に」で有名になった土浦の映画館の自販機で買ったゴムみたいな歯応えの焼きそばを観覧中食しながら(マナー違反でしょうが、劇場はすっからかんでした。とはいえ、申し訳ない)弐号機がむしり食われる様を淡々と眺めていました。かなり精神状態がよろしくなかった。僕はエヴァに依存するようになりました。

家にはエヴァ関連書籍がどんどん増えていきました。コンテ集はもとより、エヴァとは程遠いカルチャー誌の表紙を飾ったものも買いました。怪しい謎本もいくつも買ったし、とんねるずのオークション番組で等身大綾波を手に入れた方の同人誌も買いました。第24話の初期コンテ(脚本だったかな?)が載ったJUNEや、チョコレートショップさん独自の解釈による、オリジナルの展開を見せる別解釈の終盤が収録された美麗な同人誌は今でも宝です。しかしそれでもモヤモヤが解消されることはなく、情熱はグッズ類にも及びました。カードダスは一通り揃えたし、懸賞や誌上通販で特別仕様のテレカをいくつも手に入れたりもしました。極め付けは、新宿で綾波とアスカのテレカが付いてくる前売り券の販売で恐ろしい人が殺到し、その異様さはニュースにもなったあの一品。僕は地元でほぞを噛んでいましたが、やがてグッズ類も扱う古本屋で3万円を投じて二枚セットを購入しました。当時出たテレカはほとんど手に入れたんじゃないかな。そんな状態は二年は続き、新しい職場に移ってしばらくした頃にはなんとか熱は抑えられるようになっていました。生活が危うくなっていることを自覚できているうちになんとか離れることができたのです。

 

それから平穏な日々が続いたある日、新劇場版のプロジェクトが発表されました。そこで、くだんの所信表明です。僕は安堵しました。もう二度と、沼に飲まれることはないだろう。見たかったものが、今度こそ見れるという期待感がありました。

「序」「破」はおおむね僕の望んだエンタメ作品のように思えました。他の人の捉え方は様々でしたが、ただひとり、この映画を見てどのような感想を持ったか、知りたい人がいました。

熱狂的なアヤナミストである滝本竜彦さんです。

 

彼は「BSアニメ夜話」のエヴァ回で異彩を放っていました。当時の言葉を借りると「電波」で、綾波愛をNHKで熱弁しました。そんな彼が21世紀を迎えて幾数年、胸を掻き毟るような心理的圧迫感を(極力)オミットした「破」をどう評価するのかとても興味を覚えました。ちょうどその頃、「超人計画1.5」というコピー誌にオシオさんという方と滝本さんのエヴァについての対談が収録されると聞きました。これは買わねばと、コミケで(多分コミケで合ってたと思う)いの一番にサークルに赴きました。僕は「こんな綾波綾波じゃない!」と激昂する滝本さんを想像していたのですが、彼はかなり「破」を好評価されていました。

綾波自身、幸せになれそうでよかった!」と仰り、物議を醸した「ポカ波」についても肯定的でした。

僕自身はというと、エンタメとして大迫力の戦闘シーン、旧作では見られなかった人々の思いやりに救われた想いがありました。もう、エンタメでいいんです。庵野総監督がそう宣言されていたわけだし。

僕も滝本さんも相応に年を取った。過酷な現場に放り投げられたチルドレン達のしんどさを自分に投影できる年齢でもなかった。ただ、彼らが理不尽から解放される世界を望んでいました。

 

ところが、「Q」では過去の、旧劇までの息苦しさが復調していました。エンタメのエヴァを見たかった自分としては「それはもうやったでしょ」という気分でした。

アクション面の振るわなさも不満でした。ビットのようなものでちくちく攻撃するエヴァはらしくない。肉と肉、暴力と暴力がぶつかり合う生々しさが薄いと感じました。テレビでも先行放送された序盤が一番キレキレでしたね。

また、劇中で14年もの空白を作ったのに、コミックや小説などのメディアミックスで空白期間を埋める展開をしなかったのも個人的に不満でした。加地の知り合いのおっさんオペレーター、部下の男性にキツく当たる伊吹マヤについて他のメディアで描いていたらそれなりに「Q」の変化にも適応できたと思うんですね。そしてそれ以上に「破」で「行きなさい、シンジくん!」と発破をかけたミサトさんレジスタンス組織の偉い人になっているのもまた違和感を覚えました。正直言って、ネルフの実質ナンバースリーであり現場責任者であったミサトさんレジスタンスを率いて多くの人の上に立つなんて、ちょっと理屈合いませんよ。大災害に加担した彼女は地獄のような目に遭ったはずで、そこから這い上がる物語をどこかでやって欲しかったですね。

 

でも、そういう謎や矛盾の数々が残り映画一本で全て収束されるとはとても思えず、僕がシン・エヴァに望むのは「シンちゃんと初号機の大暴れ」でしかないわけです。旧劇で果たせなかったそれを見るためだけに、僕はいつものように初日に鑑賞しに行きます。

しかしそれとは裏腹に、僕には当時の熱気がない。どんなに面白かろうが、駄々滑りしようが、ただしめやかにエヴァを送るだけでしょう。一時期僕を狂わせた愛おしくも憎々しい作品の最期を看取る気持ちです。いまはとても心が落ち着いています。僕の長いエヴァとの物語にエンドマークが付く日まで、ただ粛々と日々を過ごしたいと思います。

Afterglow3章『ONE OF US』感想 〜夕影鋭くなって〜 (ネタバレあり)

Afterglow3章『ONE OF US』読み終わりました!早速感想書きますね。

 

 

以下ネタバレです。行開けます。

 

 

 

 

 

 

 

 

Afterglowで見てみたかったふたつの要素を満たしたお話だったのでかなり満足です。まずひとつは反抗の物語。

 

Afterglowは学生の、大人や社会に向けての反抗の歌を、主にカバー曲では歌っていたりするんですね。そういう時の美竹蘭のボーカルの鋭さは多くの同世代のファンに刺さり、ニコニコ動画に挙がった「歌ってみた動画」にはバンドリ以外のファンも惹かれていった。あそこって10代の反抗心、反逆心、迷いや憂い、そうした鬱屈した想いを含んだ曲が生まれる土壌があると思うんです。

そういう要素って、Afterglowの曲としては一番最初の『That Is How I Roll!!』が頂点で、それ以降はちょっと影を潜めるんですね。蘭が父親とぶつかって以降、お話としても誰かへの反抗みたいな要素は薄まっていく。5人の間でぶつかる事はあってもね。ところが、今回は理不尽へガッと切り込んでいくところから始まったんで、ドライブ感が凄まじかったですね。

Afterglowはもともと不良みたいなことを自分達も自虐的に言うわけだけど、彼女らの歌は等身大の自分、日常を素直に歌った曲が多い。そこが物足りなかった点で、理不尽に毅然と立ち向かい、膝をついても立ち上がる姿が見れた。これがまず一点。

 

二点目は、自分達を見にきてくれている人達へ視点を向けること。Afterglowは初期5バンドの中では一番内向きで、ずっと自分逹5人のことを歌ってきたように感じています。それが悪いわけではないんだけど、でも、それが我が事のように刺さっている人たちがオーディエンスの中にいっぱいいた。そこにはあまり目を向けて来なかった。

ファンからの視線に気付けたのは大きい。『ONE OF US』はまさにそれを歌った曲。”US“には5人以外の人も含まれている。外向きの曲なんですよね。いや、「内」が広くなった、と言ったほうがいいかな。

報酬星3つぐみ左エピに登場するのがアニメ3期でファンが自分達を支え続けてくれたことに気付き、『Avant-garde HISTORY』を作曲するに至った氷川紗夜(詩は従来通り友希那さんかもしらんが、Roseliaの共通見解って感じがするな)(前後のエピソードを踏まえるとあの曲の「私達」はファンを含めた広い言葉のように聴こえる)、ファン同士の諍いに仲介に入るほどにファンの事を(過剰なほどに)思い続けていた若宮イブの2人であったことはもちろん意図してそうしたことでしょう。

そのほか、『みんなを笑顔に』を掲げるハローハッピーワールドは言うに及ばず、『Step×Step!』で朝日六花の背中を押したPoppin'Partyもそう。ステージに立った時、誰に向けて、何を歌うのか。それは初期5バンドに共通する命題、いや、世にいる表現者はみなそこと何度も向き合う事になる。Afterglowが見据える夕景のその手前にファンの姿がある事。それを感じ取れるエピソードだったのが良かったですね。

 

あとはさあ、やっぱ「えいえいおー」ですよね……。あれを全員で言うやつ、絶対切り札として取っておいたと思うんですよね、ガルパ運営。良いところで切ってきましたね。

 

もっと言いたい事もいっぱいありますけど、イベント初日ですから。あとでTwitterでなんか呟いたりもすると思います。最近Twitterとは少し距離取っていましたけど、こんないいもん見せられたんだから、もう少しみんなと語り合いたいですね。

『それぞれ』を想う

世の中大変なことになってきました。

不要不急の外出は避けてと言われ、学校も始まったり始まらなかったり。

多くの著名人が「今は団結のとき」と呼びかけています。

おしゃれをしたいし、音楽を聴きに行きたいし、おいしいものを食べに行きたい。

服を売りたいし、音楽を聴かせたいし、おいしいものを食べてもらいたい。

エトセトラ、エトセトラ。

ありますよね、みんなもしたいこと。しなきゃいけないこと。

でも、今はその多くができません。

緊急事態宣言がまもなくされます。

危機意識を持って行動を。思いをひとつに。私も異論はありません。

しかし、この、ひとつになる圧が大きくなればなるほど、みんなが大事にしたい、ひとりひとりの中にある『それぞれ』がないがしろにされます。

今日はそんな『それぞれ』についての話です。

 

私の好きなVtubarさんの話をします。

彼女は皇牙サキさんと言いまして、一発目の配信で「薩摩義士伝」語りをし、コアな漫画マニアを唸らせたギャルです。その後も漫画語りを中心に活動されています。


3分でわかる皇牙サキ

彼女の配信のシメやTwitterのつぶやきで良く使われるフレーズがあります。

 

「みんなそれぞれ楽しいことしてて」

「みんなそれぞれ人生してて」

「それぞれ好きに生きて」 

 

Vtuberさんの配信って不思議なもので、その人が好きであることを共有する仲間が画面の向こう側にたくさんいる状況、なかなか無いですよね。ネットが普及する前はライブハウスに行くとかファン同士で集うオフ会とかで行っていた、そういう特別で得難い時間が今は1日のどこかに存在する。

Vtuberさんは星の数ほどいて、誰かが配信を休んでいても別の誰かには会える。1日のいつでも誰かはいる。それって凄いことですよね。ずっとそこにいたいとさえ感じる。

しかしサキさんはそれをぶった斬るように、無慈悲に幕を閉じます。

「それぞれで生きてね」、と。

 

はて。

『それぞれ』って、なんでしょう? 

 

Vtuberさんの配信を見ている間、みんなが好きなひとのほうを向いて輪になってる。ネットに居場所ができたような、そんな気分にさせてくれます。とても大切な時間です。

でも、配信が終わったら『それぞれ』が始まります。配信の時間は心地よいが、そのあとは『それぞれ』をしなければいけない。したいこと、したくないこと。それぞれの『それぞれ』を生きよう。輪になるだけでは人は生きていけない。自分の足で歩いて生きていかなければいけない。

そういうことをサキさんは言いたいのかもしれません。

 

それと同じようなことを訴えていたアニメが放送されていました。

「22/7」です。

 

「22/7」は一見、女の子たちがアイドル活動をしていく中で思いをひとつにしていく過程を描いているように見えます。彼女たち「22/7」、通称ナナニジはグループアイドルですから、団結って大事ですよね。

第9話で「みんながひとつになってる、そう感じる」という主人公・みうの独白があり、ナナニジメンバー全員で同じ星空を眺めます。一見、団結の素晴らしさを説いているようにも見えます。

その次のシーンで、ものすごくどうでもいいことで喧嘩しはじめるんですけどね。

みんなで大貧民をやって、アホっぽい騒ぎになって、その後方、ひとりタブレットで絵を描いている絢香って子がいるんです。僕はこの状況がとても好ましいと思っていて。

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同じ気持ちを宿した同志だと無言で確認しあった後に、みんなの輪の中に入らない子がいて。で、その状況をみんな暗黙のうちに良しとしている。

 

『それぞれ』なんですよ。みんなでゲームをしていてもたったひとり絵を描いてていい。絵を描いている人は『それぞれ』をやっているんだから放っておいても良い。大貧民だって、たまたま『それぞれ』がやりたいからやっているだけなので簡単に喧嘩にもなる。そういう図だと思うんです。

 

「22/7」は“壁”の指令のもと、無理難題をこなしながら、バラバラだった心がどんどんひとつになっていく様を描いています("壁"ってなんでしょうね。なんのメタファーか、みんな考えてみてください)。

それと並行して、それぞれの孤独についても描かれます。

家族の生活を支えなければいけない事情。大好きだった祖母との約束。父探しの上京。闘病の最中、友を喪った過去。自身の身勝手が両親の離婚につながってしまったという負い目。姉妹の不仲。そして、ある出会いから人生が変わったこと。

それは、『それぞれ』が抱える孤独で、痛みを伴うものだけれど、だれとも共有しない。生き抜くために必要な、誰にも侵されてはならない大切な孤独なんです。いっときの居場所ができて、何かを分かち合い、何かを分かち合わない。そういうものが「個」を作っていくのだと、そういう物語だったのだと思います。

 

9話に絢香のこんな台詞があります。

「私はあんまり考えたことないなあ、ここが自分の居場所か、とか」
「居場所より歩き続けることが大事」
「みんなちがくて当たり前じゃん、でも同じ方向を向いてるだけで、あ、一緒かも、と思えることもあるよ。大体、そんなに変わらないよ、私もクリステルも」
「ひとりが好きで、ひとりが嫌いで、しっかりしてて、だらしなくて。頭良くて、頭悪くて。強くて、弱くて。ただのかわいい女の子?」

「みんなちがくて当たり前」だけど、「一緒かも、と思えることもある」。とても大事なことを言っています。

私たちの中には侵されざるべき領域があり、でも、これくらいまでは分かち合いたいかな。そう思えることもある。

 

しかし私たちは歩かなければ生きていけない。同じ方向を見てここに留まるのは「今」だけなのだと思います。もしかしたら、それは悲しいことなのかもしれませんが。

 

今、世界中の人たちがコロナに打ち勝つことを願っています。今は一緒かも、と思える。それが瞬きのような時間でも存在する。でも、人には『それぞれ』があって、それは団結によって押しつぶされてはならないことです。

危機を前にして団結することは素晴らしい。しかし、その効力があまりにも効きすぎて、『それぞれ』の孤独、『それぞれ』の表現、『それぞれ』の生き方が尊重されにくくなる状況が今です。

 

「今は我慢の時」多くの著名人が言います。おそらく正しい。でも、私は、こんな時だからこそ、多くの人の『それぞれ』を想いたい。そんな気持ちでこのブログを書いています。

あなたの『それぞれ』を侵略されてはならない。この先、さらに強い言葉が上から降ってきます。それらを見逃してはなりません。あなた自身が、あなたの『それぞれ』を守る行動をしなければいけない時が来ます。

 

あなたがしたいこと、あなたが我慢していること。私はそれを知ろうとはしません。ただ、内に秘めた、あなたにしか輝かせることのできない『それぞれ』を、今は想います。

ガルパイベント「幼き日の面影は今もそばに」ネタバレ感想 「ふたり」が「ひとり」と「ひとり」になった日のこと

白鷺千聖と瀬田薫の過去に迫るエピソード「幼き日の面影は今もそばに」が公開されました。

以下、ネタバレになります。御注意を。

 

 

 

 

 

 

 

 

まず最初に、今回のイベストでは白鷺千聖と瀬田薫の「すべて」は描かれていません。

これまでのエピソードで空白だったふたりの過去についての物語ですが、意図的に虫食いの状態になっています。

 

ドラマの中での役作りと、現実の、そこにいる人間の人格を無頓着に結んでしまう時期の子供たちに囲まれ、のちに天才子役と呼ばれる千聖の精神は徐々に蝕まれていきます。そんな彼女の唯一の理解者とも言える薫は無力で、千聖に「大丈夫だから」としか言えません。

ある日、突然吹っ切れたかのように明るく振る舞う千聖。薫はそれを不自然に思いますが、具体的には何もできません。

 

それで、終わりです。

白鷺千聖と瀬田薫の「ふたり」の物語は、そこでおしまいです。

 

千聖は「折り合い」をつけたのだと思います。クラスメイトとドラマごっこもできる。そうやって、徐々に折り合いをつけて、素の白鷺千聖でも女優の白鷺千聖でもない仮面を身につけていく。小学生の時点で「外面」を完成させつつある、その残酷さの速度に薫は追いつけません。

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その時のことを、薫はこう語ります。

「それからも君との友人関係は今日までずっと続いているが、あの日を境に君は『プロフェッショナル』な存在になったように感じたんだ」

「フフ、懐かしいね。君の門出の瞬間だ」 

 薫はいつものように朗々と、しかし感情を少し遠くに置いてきたような……。そんな声音で語るのです。その時のことを卑下したり、ましてや美化したりもなく。

 

千聖と薫は別々の高校へ進学し、疎遠になります。しかし、それこそが、はばからず言ってしまえば、たったそれだけのことが、それぞれの「自己」を獲得する第一歩となったのです。

皮肉な話です。そばにいるとき、薫は無力だった。千聖を守ってやれなかった。クラスメイトの誤解を解く行動を、何も取れなかった。

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これ、おかしな決意で、千聖の「強さ」に疑義を呈していたはずなのに「ああなりたい」と言っている。

「臆病な私」から変わるためには千聖のようにもうひとりの自分を装う手段が必要ということなのか。それは悲しい話ですが、私たちの知る薫は嘘、偽りを言わない人。つまり、自分のまま、千聖の望む「臆病で優しいかおちゃん」のまま、彼女は変わったのです。

 

「ちーちゃんみたいな強い人」とは、一言で言ってしまえば「孤高」です。

誰に寄りかかることなく、自分の足で立って歩いていける人のこと。「自立した人」とも言えるでしょう。

薫はこのとき「みんなの王子様」になった。みんなのものになるということは、翻って誰のものでもないと言えます。それもやはり「孤高」です。

今回のエピソードから読み取れることのひとつは「人はみないつか独り立ちし、ひとりで自分の道をあゆみだす」ということ。それを孤独と呼ぶのかもしれないけれど、あの人が今も優しく強くあることが感じられるから、自分もそのように歩める。それが薫に残された、千聖との友情の残滓。

“昔のようにあだ名で呼ぶことはもうないけれど”、「ふたり」は「ひとり」と「ひとり」として、向かい合ってお茶を飲むことができる。

そう考えると、『孤独の街』って、すごくこう、うまいタイトルですね。街は孤独と孤独でできている。添え木のように寄り添う甘い時期は終わり、自分の距離で「あなた」と向き合う。

 

薫は千聖を救えなかった。でも我々は知っている、別れの後に出会いがあり、千聖の物語は続いていたこと。そして今は「自分らしく」笑えていること。

 

最初にこのエピソードは虫食いと言いました。描かれなかったのはふたつ。

千聖が女優になった真の理由、彼女の言葉の端々に窺える大人の影。

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薫と別れたのち、女優ではない千聖と向き合うことができた松原花音と出会うまでの物語。

そういうものをあえて落とし、甘い時間の終焉で幕を閉じる「ふたり」の物語。

しかしそれは同時に「ひとり」と「ひとり」にはまだ先があると明示しているようにも見えます。

それが描かれる時、私たちは何を見て、何を知らされるのか。

 

しかしいまはまだ、「ひとり」と「ひとり」の孤独と友情に思いを馳せていてもいいですか。

映画「天気の子」 〜地を這うように、空を目指す〜

島育ちの穂高は光に触れたかった。

 

雲の晴れ間を追い、東京までやって来た彼は、歌舞伎町の不衛生な環境の中、必死で這いずり回った。彼は東京に来たがっていた。あの光に触れるために。しかし、当座の金を手に入れるため、グレーな仕事を必死でやっているうちに当初の目的を失った。浮き足立っていた。

 

そこに現れる少女、陽菜こそが光だった。

 

あの時島で追いかけていたそれのように、きらきらして、近いようで、どこか遠い。

彼女は行き詰まっていた。彼女もまた、地べたに近い人だった。

ここは正しさが支配する街。穂高や陽菜にはずる賢さが必要だった。あるいは豆苗のような逞しさが。

 

穂高を拾った二人の大人。彼らは優しい人のようでもあり、また、自分の欲求に素直な人たちでもある。彼らとの疑似家族はやすらぎではあったが、それぞれが違う目的で動く。

人々をつなぐロケーションは路地と、半地下の事務所、そして陽菜と凪の慎ましい部屋。じめじめした雨を避ける場所もやはり湿気ていた。

 

光はここにある。穂高は恵まれていたのかもしれない。いつでも、島で見たあの光景に出会える。そして甘えもあった。大事なものは、いつでも抱えられるようにしていないといけない。光とは、儚く脆く、そして最も大事なのは、永遠ではない。

 

東京には結界がある。堅牢で、静謐で、清潔なビル群ははぐれものを寄せ付けない。路地裏の地べたを這う人々は、帰り道に迷わぬよう、ネオンの光を道しるべにする。偽物の、極彩色のビームを浴びて、ひと心地をつける。

 

「今の子ども達は気の毒ね」

正しい人の、これは束縛の魔法だ。どんな「今」であろうと、子どもは生きる。それしかない。しかし、哀れみの言葉は空虚ゆえに、ぽっかり空いた胸の穴に隙間風を送り込む。大人にもやるせない空気を伝播させる。

 

無理解が壁を作る。無情が蹴りを入れる。無責任が居場所を奪う。

抗うのに必要なのは、足だ。 

 

穂高は走る。

誰かの手は借りても、無策でも、地面を蹴るしか先へは行けない。路地裏を、繁華街を、雨の歩道橋を、延々と歩いた。ようやっと転がり込んだホテルで雨を凌ぎ、暖かい湯とコンビニの「ごちそう」で、冷え切った体にエネルギーを蓄えた。今がその時。 

 

僕は、あの塔まで行くんだ。

 

地べたを這いずり回った足だ。闘士の足だ。

視線は常に上を向き、しっかりと地を蹴る。

そう、穂高は光に触れたかった。そのために必要な足を、東京で手に入れた。全部、無駄じゃなかった。

 

選択は成された。良いか悪いかはわからない。しかし、胸は痛んでも後悔はない。たくましく生きる人々に背中を押される。そう、穂高は再び東京にやってきた。

 

その祈りは誰がために。この高揚はあなたのために。

今、光は地に落ちた。大いなる影とともに。

もう迷わない。もう手を離さない。

決定的に変わってしまった世界で、変わらないものに、もう一度出会えたのだから。

BanG Dream! 2nd season #13 キズナミュージック♪

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この楽屋でのわちゃもちゃ感いいよね。全員好き放題動き回ってて大変なことになってます。

 

いろんなことがあって遂に迎えたポピパ主催ライブ当日。

 

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ここすごい声出てたな……。

 

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とっておきのはずの「Returns」を一発目からぶっこむ!

これを端緒として、他バントに火をつけることに。全バンドがセトリ完全無視で新曲を頭に持ってきて場を引っ掻き回します。そこには打算も何もなく、今できる全力をぶつけるだけ。

各バンドのライブを見れば、ポピパの目指した「ポピパらしい主催ライブ」が見事形になったと断言できます。全ては音楽で、ただ、がむしゃらに楽しむ。

 

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さすがにマジで飛ぶとは思いませんでしたけど!

 

それぞれの「本気」がぶつかりあう中、特筆すべきなのがRoseliaの「FIRE BIRD」でしょうか。

 

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エレガがXJAPANやってみた!という趣きの、非常に挑戦的なナンバーです。これリアルライブでやるのか、めぐち大変なのでは(たぶんみんな大変)。2019年はRoseliaにとってさらなる飛躍の年となるでしょう。

歌詞ですが、本作のテーマであろう「絆」が含まれていたり、「何度も歌い強くなった」などなど、Roselia自身やポピパが辿ってきた軌跡を歌い、傷つきながらそれでも飛翔しなさい、という、ポピパに対する叱咤激励のようにも受け取れます。

「BRAVE JEWEL」といい、既存曲の「Determination Symphony 」といい、今作で歌われた彼女たちの歌は、彼女たちの言葉より雄弁に、ポピパを支え、見守ってきました。ぜひみなさんもそれぞれの歌詞と、デタミの使われた箇所をもう一度再見してみてほしいです。

 

バンドリ第二期は言葉足らずな部分が多々あり、それらはポピパだけでなく多くの登場人物の未熟さの象徴なのですが、その足りない部分を、彼女たちの青春を賭けた音楽で伝える。そういう場面がたくさん見られました。

 

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りみりんの可憐な指さばき。パースの効いたベースがカッコ良い。

 

本作は(ほぼ)全面CG作品で、演奏シーンはダイナミックに、かつ細部まで繊細に描かれていました。 ほんとにライブハウスにいるような気分でした。はあ、今度は生でバンドリライブが見たいなあ(いつもライブビューイングなので)。

 

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さて。アニメバンドリ二期は春の嵐のように終わっていきました。チュチュさまかわいいなあ。

 

ありったけのライブシーンとありったけのキズナを見せられ、大変満足なのですが、裏の主役とも言える六花はいまだバンド結成に至らず、RASのメンバーがどのように集まったのかは謎のままです。既報ではあるのですが、アニメバンドリは三期が控えています。来年1月からということですが、そこでどのように語られるのでしょうか。RASの物語は月刊ブシロード誌上で描かれている最中ですが、アニメでも見てみたいものです。もうどんどん引っ掻き回してください。その間我々ファンはリアルライブにガルパにラジオと、他メディアで存分に楽しんで待つこととします。

 

総評。

新学年となり、生活環境が変わる中、次なる試練を与えられたポピパ。思いは同じなのに同じ方向を向き合えない。彼女らは同じバンドの仲間だけど、当然それぞれ別の人格を持っているわけです。おたえの抱える焦燥感も、沙綾の不安も、それぞれ別の道を進んできた別の人間から生じたもの。欠けた部分は支え合えるけど、どこまで踏み込んでいいか逡巡する場面も多々見られました。感情のまま叫びそうになる自分を抑える有咲とかね。

それらすれ違いを解決するのはやはり歌でした。直接言葉では語らない、それはいびつなコミュニケーションかもしれません。しかし、彼女らはそうして進んできた。今までもそうだったし、これからもそう。そういう話だったんだと思います。キラキラドキドキは、歌に全て閉じ込めた。ステージは瞬く間に終わり、また始まっていく。そういう今しかない瞬間瞬間を、我々は目撃しました。ありがとう。

 

あ、新しく始まったRASのラジオ、かなりやべーやつらのラジオになっていますんで、一度聴いてみてください。

 

ではみなさま、三期でまた会いましょう。