キルラキル 針目縫とアニメの「再発見」

キルラキルといえば大アクション!
男女の区別無く血しぶきを飛ばし、ぼっこぼこになりまくるダイナミックなアクションが売りのアニメです。
主人公・纏流子とライバル・鬼龍院皐月のバトルは古き良き手描きアクションと、CGを大胆に使った立体的なアクションの組み立てが非常に秀逸です。


一方、中盤から彼女らをしのぐ強力な難敵として登場する針目縫。彼女はキルラキルにとってとにかく「異質」。血も汗も流さない、雄叫びも上げない*1彼女はイレギュラー中のイレギュラーとして常に画面に馴染まない工夫が施されています。
まず、とにかく「動かない」。そして笑顔を崩さない。
最初見た時には「いいの?」ってなるんですね。あんな動かなくていいの?そこ動かすのがキモだったんじゃないの?っていう。
あそこは良いんですね、動かさなくて。


日本のアニメには「動かないものをどう動かすか」についてずっと苦心し続けてきた歴史があります。その末に「抜く」という描いたものをわざわざ外して動きにメリハリを付ける技術、極端なパース付けを施して画面に迫力を生んだりというような技術を磨いてきました。それらは技術の研鑽と多くの制約の末に生み出されたものです。


そこで、針目縫の話に戻るのですが。
彼女はもう徹底して「動かない」んですね。FLASHか何かみたいに、手足がパーツ分けされたように大ざっぱに左右前後に揺れる程度の動きしかしない。
ペラペラで奥行きが無く、陰影も少ない。
縫は生きる世界が違う。違う次元で生きている、とすら言い切っても良いかもしれない。流子のように感情では動かない。あまりにも強いので激しく動く必要も無い。心身ともに違う、異質なんです。だから動かないし、キャラに奥行きが無い。


針目縫の動きを見て「(制作側が)手を抜いている」と判断する人も居るかもしれません。しかしそれは格闘の達人が最小の動きで相手を圧倒するのと同じ。流子と縫の間の圧倒的な彼我戦力差は手抜きに見える程の差が生じている。
圧倒的な暴力って、もうギャグなんですね。そんなことができるはずがない、埒外の力の前に人はもう笑うしか無くなってしまう。
流子は至ってまじめなのに、涼しい顔でいなし続ける。
だからもう、針目縫には通常の作画リソースは必要なく、必要最小限の入りと抜きさえあれば彼女の異常さは表現しうるのです。


で、それって日本のアニメが辿ってきた道なんですね。優れたアニメーションは単純な数の勝負ではなく、力の入り抜きを見抜くこと、っていう。
流子たちの目紛しい殺陣と針目縫の最小限の動きのコラボレーションっていうのは今石監督がアニメの再発見にチャレンジし、見いだしたひとつの解なのかな、と思っています。
キルラキルは、国内外の数多のアニメーションを咀嚼し再構築し続けてきた今石監督らしさが詰まった最新の作品だと思います。

*1:その点では、最新話でついに「動き」ましたね