『それぞれ』を想う

世の中大変なことになってきました。

不要不急の外出は避けてと言われ、学校も始まったり始まらなかったり。

多くの著名人が「今は団結のとき」と呼びかけています。

おしゃれをしたいし、音楽を聴きに行きたいし、おいしいものを食べに行きたい。

服を売りたいし、音楽を聴かせたいし、おいしいものを食べてもらいたい。

エトセトラ、エトセトラ。

ありますよね、みんなもしたいこと。しなきゃいけないこと。

でも、今はその多くができません。

緊急事態宣言がまもなくされます。

危機意識を持って行動を。思いをひとつに。私も異論はありません。

しかし、この、ひとつになる圧が大きくなればなるほど、みんなが大事にしたい、ひとりひとりの中にある『それぞれ』がないがしろにされます。

今日はそんな『それぞれ』についての話です。

 

私の好きなVtubarさんの話をします。

彼女は皇牙サキさんと言いまして、一発目の配信で「薩摩義士伝」語りをし、コアな漫画マニアを唸らせたギャルです。その後も漫画語りを中心に活動されています。


3分でわかる皇牙サキ

彼女の配信のシメやTwitterのつぶやきで良く使われるフレーズがあります。

 

「みんなそれぞれ楽しいことしてて」

「みんなそれぞれ人生してて」

「それぞれ好きに生きて」 

 

Vtuberさんの配信って不思議なもので、その人が好きであることを共有する仲間が画面の向こう側にたくさんいる状況、なかなか無いですよね。ネットが普及する前はライブハウスに行くとかファン同士で集うオフ会とかで行っていた、そういう特別で得難い時間が今は1日のどこかに存在する。

Vtuberさんは星の数ほどいて、誰かが配信を休んでいても別の誰かには会える。1日のいつでも誰かはいる。それって凄いことですよね。ずっとそこにいたいとさえ感じる。

しかしサキさんはそれをぶった斬るように、無慈悲に幕を閉じます。

「それぞれで生きてね」、と。

 

はて。

『それぞれ』って、なんでしょう? 

 

Vtuberさんの配信を見ている間、みんなが好きなひとのほうを向いて輪になってる。ネットに居場所ができたような、そんな気分にさせてくれます。とても大切な時間です。

でも、配信が終わったら『それぞれ』が始まります。配信の時間は心地よいが、そのあとは『それぞれ』をしなければいけない。したいこと、したくないこと。それぞれの『それぞれ』を生きよう。輪になるだけでは人は生きていけない。自分の足で歩いて生きていかなければいけない。

そういうことをサキさんは言いたいのかもしれません。

 

それと同じようなことを訴えていたアニメが放送されていました。

「22/7」です。

 

「22/7」は一見、女の子たちがアイドル活動をしていく中で思いをひとつにしていく過程を描いているように見えます。彼女たち「22/7」、通称ナナニジはグループアイドルですから、団結って大事ですよね。

第9話で「みんながひとつになってる、そう感じる」という主人公・みうの独白があり、ナナニジメンバー全員で同じ星空を眺めます。一見、団結の素晴らしさを説いているようにも見えます。

その次のシーンで、ものすごくどうでもいいことで喧嘩しはじめるんですけどね。

みんなで大貧民をやって、アホっぽい騒ぎになって、その後方、ひとりタブレットで絵を描いている絢香って子がいるんです。僕はこの状況がとても好ましいと思っていて。

f:id:jujuru:20200402050200j:plain

同じ気持ちを宿した同志だと無言で確認しあった後に、みんなの輪の中に入らない子がいて。で、その状況をみんな暗黙のうちに良しとしている。

 

『それぞれ』なんですよ。みんなでゲームをしていてもたったひとり絵を描いてていい。絵を描いている人は『それぞれ』をやっているんだから放っておいても良い。大貧民だって、たまたま『それぞれ』がやりたいからやっているだけなので簡単に喧嘩にもなる。そういう図だと思うんです。

 

「22/7」は“壁”の指令のもと、無理難題をこなしながら、バラバラだった心がどんどんひとつになっていく様を描いています("壁"ってなんでしょうね。なんのメタファーか、みんな考えてみてください)。

それと並行して、それぞれの孤独についても描かれます。

家族の生活を支えなければいけない事情。大好きだった祖母との約束。父探しの上京。闘病の最中、友を喪った過去。自身の身勝手が両親の離婚につながってしまったという負い目。姉妹の不仲。そして、ある出会いから人生が変わったこと。

それは、『それぞれ』が抱える孤独で、痛みを伴うものだけれど、だれとも共有しない。生き抜くために必要な、誰にも侵されてはならない大切な孤独なんです。いっときの居場所ができて、何かを分かち合い、何かを分かち合わない。そういうものが「個」を作っていくのだと、そういう物語だったのだと思います。

 

9話に絢香のこんな台詞があります。

「私はあんまり考えたことないなあ、ここが自分の居場所か、とか」
「居場所より歩き続けることが大事」
「みんなちがくて当たり前じゃん、でも同じ方向を向いてるだけで、あ、一緒かも、と思えることもあるよ。大体、そんなに変わらないよ、私もクリステルも」
「ひとりが好きで、ひとりが嫌いで、しっかりしてて、だらしなくて。頭良くて、頭悪くて。強くて、弱くて。ただのかわいい女の子?」

「みんなちがくて当たり前」だけど、「一緒かも、と思えることもある」。とても大事なことを言っています。

私たちの中には侵されざるべき領域があり、でも、これくらいまでは分かち合いたいかな。そう思えることもある。

 

しかし私たちは歩かなければ生きていけない。同じ方向を見てここに留まるのは「今」だけなのだと思います。もしかしたら、それは悲しいことなのかもしれませんが。

 

今、世界中の人たちがコロナに打ち勝つことを願っています。今は一緒かも、と思える。それが瞬きのような時間でも存在する。でも、人には『それぞれ』があって、それは団結によって押しつぶされてはならないことです。

危機を前にして団結することは素晴らしい。しかし、その効力があまりにも効きすぎて、『それぞれ』の孤独、『それぞれ』の表現、『それぞれ』の生き方が尊重されにくくなる状況が今です。

 

「今は我慢の時」多くの著名人が言います。おそらく正しい。でも、私は、こんな時だからこそ、多くの人の『それぞれ』を想いたい。そんな気持ちでこのブログを書いています。

あなたの『それぞれ』を侵略されてはならない。この先、さらに強い言葉が上から降ってきます。それらを見逃してはなりません。あなた自身が、あなたの『それぞれ』を守る行動をしなければいけない時が来ます。

 

あなたがしたいこと、あなたが我慢していること。私はそれを知ろうとはしません。ただ、内に秘めた、あなたにしか輝かせることのできない『それぞれ』を、今は想います。